「文化的脅威」という問題

独立言論フォーラムで連載している「知らせざる地政学」の第109回(9月27日と28日に公開予定)においては、「暗号通貨」にかかわる闇について考察している。これに関連して、「現代ビジネス」では、本日(9月18日)、拙稿「ロシアによる資金洗浄の闇…世界に広がる暗号通貨網の裏を暴く」が公表された。力作なので、関心のある読者はぜひ読んでみてほしい。

というわけで、いま、つぎに取り上げる論点を探している。人口減少を取り上げるか、それても、「文化的脅威」を俎上に載せるかについて悩んでいる。そこで、このサイトに後者について書いてみることで、どの程度の論考に仕上げることができるかを試してみることにした。

 

トランプによる脅威

本当は、文化的脅威の問題は、第二期ドナルド・トランプ政権ではじまった数々の攻撃と関係している。たとえば、2025年4月に公表されたジョン・クラスカ著「大統領令による文化戦争:トランプ大統領の文化指令と図書館・博物館への脅威」という論文は、「ドナルド・トランプ大統領は第2次政権の最初の100日間で、連邦政府の重要な文化機関をターゲットにしたいくつかの大統領令を出した」という文ではじまっている。その文化機関には、博物館図書館サービス研究所(IMLS)、全米人文科学基金(NEH)、全米芸術基金(NEA)、公共放送協会(CPB)、スミソニアン協会などが含まれていた。

クラスカは、「これらの指令は、図書館、博物館、文書館を含むアメリカの文化機関の使命、ガバナンス、資金調達を再編成することを目的とした、前例のない行政権限の行使を表している」とのべている。さらに、その取り組みが米国のアイデンティティに関する「固定化されたイデオロギー的物語を反映・促進する」ことを目的とした意図的なものであるとしている。そのうえで、「これらの大統領令は、とくに2026年に迫った合衆国建国250周年という文脈において、図書館、博物館、文書館が長い間維持してきた知的中立性と市民の信頼に大きな脅威をもたらすものである」と指摘している。

 

具体例としてのスミソニアン攻撃

9月に上梓されたばかりの拙著『ネオ・トランプ革命の深層』では、第1章のなかで、「2025年3月27日、トランプは大統領令14253号「米国史に真実と正気を取り戻す」に署名した」と書いておいた。このなかで、「スミソニアン・アメリカン・アート・ミュージアム」の「権力の形:人種とアメリカ彫刻の物語」という展示が批判的に取り上げており、この展示が「分裂的で人種中心のイデオロギーの影響下にある」とこき下ろしている。どうやら、「人種が人間の発明である」という考え方が気に入らないようだ。

大統領令14253号では、「かつては米国の卓越性の象徴であり、文化的な功績の世界的アイコンとして広く尊敬されていたスミソニアン協会は、近年、分断的で人種中心主義的なイデオロギーの影響下にある」として、スミソニアン協会に明確な批判の矛先が向けられた。大統領令は、副大統領などがスミソニアン協会の施設から不適切なイデオロギーを排除するよう努めるなど、彼らに必要な追加措置を大統領に提言するよう命じている。

 

すさまじいDEI攻撃

先の拙著の「第3章 言語の政治化」では、「多様性、公正性、包摂性」を意味する“diversity, equity and inclusion”(DEI)といったものを重視する考え方への攻撃がDEIという言葉の消滅さえ目論んだ文化的攻撃であったことを詳述した。

トランプは大統領選期間中から、DEIに厳しい目を向けていた。彼は同期間中、DEIを破壊的で分裂的なものだと激怒し、連邦政府全体でDEIを消滅させると宣言した。彼は「違法な差別」をなくし、「公務員としての能力」を取り戻すことを目的とした大統領令で、その公約を実行に移す。ここでは、三つの大統領令について解説してみよう。

 

【大統領令14151号】

トランプは2025年1月20日、「過激で無駄の多い政府のDEIプログラムと優遇措置に終止符を打つ」と題された大統領令14151号に署名した。そこには、「バイデン政権は、DEI名目で、航空機の安全性から軍事まで、連邦政府のほぼすべての分野にわたって、違法かつ不道徳な差別プログラムを強制した」とあり、「これは、バイデン大統領が就任初日に「連邦政府による人種的公正性の推進とサービスが行き届いていない地域社会への支援」に関する大統領令13985号を発令したことに端を発する、組織的な取り組みであった」と書かれている。

そのうえで、連邦政府における違法なDEIおよび「多様性、公正性、包摂性およびアクセシビリティ」(DEIA)の義務、方針、プログラム、優先事項、および活動を含む、あらゆる差別的プログラムの終了を調整する、と命じている。

 

【大統領令14168号】

トランプは同じく1月20日、「ジェンダー・イデオロギーの過激主義から女性を守り、連邦政府に生物学的真実を取り戻す」と題された大統領令14168号に署名した。そこには、「「性」とは、個人の男性または女性としての不変の生物学的分類を指すものとする」と記されている。つまり、「ジェンダー・アイデンティティ」の概念が削除されており、「省庁は、ジェンダー・イデオロギーを促進する、またはその他の形で植えつける、すべての声明、方針、規則、書式、通信、またはその他の内部および外部メッセージを削除しなければならず、そのような声明、方針、規則、書式、通信、またはその他のメッセージの発行を中止しなければならない」と定められている。さらに、「連邦資金は、ジェンダー・イデオロギーを促進するために使用してはならない」と書かれている。

トランプは1月27日に、「米国の戦闘力を取り戻す」という大統領令14185号に署名し、「残念なことに、近年、文民および軍服の指導者たちは、DEIプログラムとそれに付随する人種および性別による優遇を軍隊内で実施している」として、「こうした行動は、リーダーシップ、能力、部隊の結束を弱め、その結果、殺傷能力と部隊の即応性を低下させる」から、改善するよう命じた。実力主義を破壊し、違憲の差別を永続させ、分断概念やジェンダー・イデオロギーを助長する、人種に基づく優遇制度を推進するために設立された出張所、プログラム、要素、イニシアティブなどのDEI官僚機構を国防総省および国土安全保障省内からすべて廃止するよう求めている。

 

【大統領令14173号】

トランプは1月21日、「違法な差別をなくし、実力に基づく機会を取り戻す」という大統領令14173号に署名した。命令には、「私は、すべての行政府および行政機関(エージェンシー)に対し、差別的で違法な優遇措置、義務、政策、プログラム、活動、ガイダンス、規制、強制措置、同意命令、および要件をすべて廃止するよう命じる」とある。

さらに、この命令は、連邦政府の請負業者に対し、性別や人種に基づく不当表示を特定し、それに対処するためのアファーマティブ・アクション計画を策定し、実施することを義務づけた、1965年9月24日付のリンドン・ジョンソン大統領令11246(雇用機会均等)の撤回も定めている。

大統領令14173号は、各省庁の長に対し、違法なDEI優遇、義務、政策、プログラム、活動を廃止するよう民間部門に働きかける行動をとることも求めている。そのために、司法長官に対して、DEIを含む違法な差別や優遇措置を廃止するよう民間部門に奨励するその他の適切な措置を講じるための勧告を含む報告書を国内政策担当大統領補佐官に提出することも命じている。

なお、大統領令14173号についで、2月5日、パム・ボンディ司法長官は司法省(DOJ)の全職員に対し、DOJの公民権課が「民間部門および連邦資金を受ける教育機関における違法なDEIおよびDEIAの優遇、義務、政策、プログラム、活動を調査し、排除し、罰則を科す」とする覚書を発表した。この覚書は、公民権課と法務政策室に対し、刑事捜査と最大9件の民事コンプライアンス調査、そして新政策を支持する潜在的な訴訟活動の提案を含む報告書を提出するよう指示している。

 

DEIの削除

トランプによる相次ぐ「DEI狩り」によって、連邦政府機関のウェブサイトからDEIに関連する記述が削除された。1月31日付のWPの記事「トランプ政権下で連邦政府機関はすでにウェブサイトをどう変えたか」によると、「長年の求人情報から、現在は閉鎖されたDEI関連オフィス、さらには数年前の無名のウェブページに至るまで、The Postが調査したほぼすべての連邦政府機関や部局が、DEIへの言及を削除していた」。たとえば、国土安全保障省のウェブからは、DEIという言葉が消えた。教育省の雇用差別の根拠としないとする特徴のリストでは、「性自認」という言葉が削除された。保健福祉省公民権局は、以前「女性と妊娠中の人」がリプロダクティブ・ヘルスケアにアクセスする権利を保護すると言っていたが、最近ではそれを「女性」だけに縮めている。農務省は、6200ワードにおよぶ「ジェンダーを含むコミュニケーションガイダンス」全体を削除した。

2月2日付のNYTは、「1月31日の午後以降、10以上の米国政府ウェブサイトにわたって8000以上のウェブページが削除された」と報じている。

 

トランプ流文化弾圧の背後にあるもの

このようにみてくると、第二期トランプ政権はトランプにとって都合のいい価値観への脅威を理由に、彼にとって不都合な価値観の排除につなげようとしているようにみえる。先に紹介したクラスカの論文では、「トランプ政権の2025年大統領令は、その伝統を覆そうとし、多元性を順応性に置き換えようとしている」、と指摘している。ここでいう伝統とは、来るべき建国250周年を念頭に、「米国の文化施設は長い間、探求の場、避難所、つながりの場として機能してきた」というイメージに基づいている。「その強みは、独立性と複雑性の受容にある」というのがクラスカの主張である。だが、トランプはこうした良き伝統を自分への支持という順応性に変質させようとしているというのだ。

しかし、このクラスカの見解は皮相であり、首肯できない。現在、米国だけでなく世界中で進行中の「文化的脅威」を理由に、国家が前面に出ようとする動きは、まったく別の理由で進んでいるようにみえるからである。

この問題については、すでに拙著『サイバー空間における覇権争奪』で論じたことがある。つぎの記述(244頁)を熟読してほしい。

「 グラムシはもう一つ、重大な論点に気づいていた。それは、伝統が培った生活慣習を「歴史的堆積物」と呼び滓おりとみなしたうえで、それが簡単に溶け出すことを予測していたことである。サバルタンがサバルタンでなくなると、これまでの文化の古い鎖を溶解してしまうのである。この変化は一人ひとりの人間への尊重、人権に普遍性を見出そうとする視線から生み出されている。性差別やLGBT 差別へのまなざしはその反作用として個々人の大切さを訴える。いわば、一人ひとりの人間を聖なる地位に置く。しかし、それは同時に個々人の個別化や断片化を促し文化による束縛を溶かす一方で、カネという尺度を普遍化しカネという単位・数値ですべてを評価する動きを広げる。「ストップ・詐欺被害 私は騙されない」といったキャンペーンも結局、「自分以外信じるな」と叫んでいるように聞こえる。」

ここで、「サバルタンがサバルタンでなくなる」とはどういうことか。そのためには、サバルタンそのものを理解しなければならない。サバルタンは、社会・政治・経済・地理的に阻害された従属者を意味している。本来は、インド近代史の研究から生み出された概念だが、ガヤトリ・スピヴァクの「サバルタンは語りうるか」という論文を契機に一般的な文脈でも使われるようになった。同論文で考察対象となっているのは、ヒンドゥー教徒で、夫に先立たれた妻が夫の死体を焼く火葬の火のなかに身を投じて殉死する慣習にさらされていた女性である。インドを植民地化したイギリス当局は、この慣習を禁止したのだが、スピヴァクは、ヒンドゥー教のこの寡婦殉死の慣習とそれに対する禁止をめぐる言説の配置を主題化しながら、論文のタイトル、「サバルタンは自らについて語ることができるのか」と問う。

ここで、大澤真幸の優れた分析を手掛かりにしよう(『ナショナリズムの由来』, pp. 482-484)。

この慣習の禁止に対して、論理的に可能な言明は、つぎの二つ。①「白人(男性)が茶色の男たち(インド人男性)から茶色の女たち(インド人女性)を救った」という言明と、②「女たちは本当に死ぬことを欲していた」という言明である。①は「人権」のような普遍概念に基づいて、禁止を肯定する言明だ。それに対して、②は、ヒンドゥーの伝統の特殊性に立脚して、禁止を拒否し、慣習を肯定する言明である。

スピヴァクは、古代以来のヒンドゥー法の言説の伝達過程を精神分析学的に解釈し直すことで、寡婦の自己犠牲についての規則は、女性を一人の夫にとっての客体として定義しているのであって、ヒンドゥー法の内にプログラムされてきた、主体の地位をめぐる一般的な(男女の)非対称性極端にまで推し進めた結果である、と結論する。

すると、これら二つの言明のどちらにおいても、ネイティヴの女性の言葉が現れないことになる。二つの命題によって、論理の空間は尽くされているようにみえる。また両者の帰属点によって、社会システム内の可能な立場も尽くされているようにみえる。つまり、二つの命題の和は、十分に包括的で普遍的なものにみえる。だが、それにもかかわらず、排除されている発話がある。それは、インド人女性、ネイティヴの女性の発話だ。スピヴァクは、①と②のどちらの発話のなかにも、インド人女性の言葉は現れてはいない、と指摘する。インド人女性は、①のように言われても、また②のように言われても、自らが疎外されていると感ずるだろう。ネイティヴの女性が、そこからみずからを語りうる空間が、初めから失われているのである。ネイティヴの女性の言葉が、誰にも聞き取られていないのだ、ともいえる。だから、スピヴァクは、サバルタンは語りえない、と結論する。

こう説明したうえで、大澤は、「つまり、このインド人女性にその例を見ることができるように、資本主義的な世界システムの中で、主体的に語ることの可能性が、あるいは、語る主体として承認され、聞き取られる可能性が、奪われている者たちが出てくるのだ」と指摘している。スピヴァクらはそうした人々を「サバルタン」と呼んだのである。

こうしたサバルタンも時代の変化とともに文化の溶解によって消失しうる。だが、それは新たなる文化に巻き込まれるだけのことなのだ。その新たなる文化がいま、カネという尺度を普遍化しカネという単位・数値ですべてを評価する動きを広げている。同時に、それは個々人を前提とした断片化を促す。

だからこそ、先の記述につづけて、拙著『サイバー空間における覇権争奪』では、つぎのように書いておいた(244頁)。

「 一時期、自動車・テレビのような耐久消費財の生産で世界をリードした米国は断片化されていない「マス」を相手に大量生産することで覇権国となりえた。その「マス」は文化の鎖でつながれた画一的にとらえられる存在であったし、それを束ねる慣習もしっかり根づいていた。だが、本書で説明してきたAI、IoT、5G、ブロックチェーンなどの最新技術は各国ごとに国家語を教え込み、「国家信頼」を植えつけてきた国家ごとの差を抹消しようとしている。序章で紹介したように、価格さえ個々人によって差別化されて提示される時代を迎えつつある。もはや「少品種少量生産」でさえなく、「個々人別々」の生産・サービスの提供が広がろうとしているのだ。だからこそ、個々人はもはや「国家信頼」ではなく、個々人をつなぐ「ネットワーク」や個々人に対応してくれる「マシーン」を信頼したくなるのである。その理由はマシーンやネットワークが信頼できるからではなく、そうしなければもはや生活できなくなるほどにそれが人間を取り囲むからなのである。」

たぶん、こうした時代の変化のもとで、過去の文化の普遍性も揺らいでいる。「文化的脅威」を名目にした「政治力」によって、「独立性と複雑性の受容」という過去の伝統さえ簡単に溶解してしまいかねないのである。

 

ロシアで進む「文化的脅威」を理由にした言論弾圧

実は、ここでの考察のきっかけは、「9月10日、モスクワ地方裁判所は、オンライン図書館MangaLIBの管理者イワン・クヴァストに対し、成人の「非伝統的な性的関係の宣伝」に関する条項(行政法第6条21の第3部分)に基づき、20万ルーブルの罰金を科した」、というニュースを知ったことだった。

罰金の理由は日本の漫画『大蛇に嫁いだ娘』だった。審理の結果、裁判所は検察側を支持し、人と「神話上の生き物」との関係は「非伝統的」の定義に該当するとの判決を下したのである。判事の説明によれば、この法律の解釈には、異性愛の規範から外れたあらゆる性的関係、すなわち男女関係以外のものも含まれる。

このニュースによると、「ロシア連邦通信・情報技術・マスコミ分野監督庁」(「ロスコムナドゾル」, Roskomnadzor)は、こうした漫画を「文化的脅威」とみなして、検閲や罰金によって排除しようとしているというのである。

ここで気づくのは、国家が安全保障を名目に規制対象を拡大しているのと同じメカニズムの存在である。「文化的脅威」という、わけのわからぬ理由を錦の御旗とすれば、国家は何をしても許されるかのような振る舞いをするようになっている。ロシアばかりでなく、米国でも同じことが起きているようにみえる。

少なくとも、こうした現状認識からスタートしなければならないだろう。そのうえで、どう対処したらいいのかを考えてゆく必要がある。

 

ここまで書いてみて、どうやら、これを題材にすれば、「連載」も「現代ビジネス」も何とかなると思えるようになってきた。

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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