天然ガス価格の上限価格設定について:長期契約とスポット契約

(「禊の対極としての「腐敗」:腐敗研究と復讐研究の接点」と同じく、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』[仮題]の補足注)

 

2022年9月7日、欧州委員会は、①ロシアのガス価格に幅広い上限を設けることを各国に承認するよう求める、②エネルギー生産者が得た収入を企業や家庭に再配分する計画の策定、③ピーク時の電力使用削減目標の義務化などの措置を検討するよう要請した。原油および石油製品についで、天然ガス価格にも上限規制を導入しようというのだ。この際、上限価格はロシア産ガス価格にだけ適用されるのではない。要するに、EU内の消費者のために、ガス燃焼でタービンを回して発電するコストを、ガス卸売価格に上限(キャップ)を設けることで一定以下に保とうという政策なのである。だが、こんなことをすれば、カタールのような液化天然ガス(LNG)の輸出国は欧州より高く売れる先があれば、LNGを別の地域に輸出するようになるだろう。

 

ガス価格決定方式

市場を無視した消費者カルテルを結ぼうという政策は、まったく理解できない暴挙であると思われる。拙著『ウクライナ3.0』第4章第1節に詳述したように、この提案はガス市場のことを知らない政治家の低劣な提案にすぎない。

ガス価格決定方式には、(1)ハブ指標(たとえばオランダのインターコンチネンタル取引所[ICE]のTitle Transfer Facility、TTF)、(2)石油指標、(3)石油類似指標、(4)スポット取引や電子販売プラットフォーム(Electronic Sales Platform, ESP)――によるものがある。ガスプロムの2019年の契約では、(1)が全体の56.7%ともっとも多く(ドイツへの販売は、スポット価格とのタイムラグを含むガスインデックス式に基づく)、(2)は16.5%(トルコの場合、原油価格とガス価格のタイムラグが6カ月もある)、(3)は15.5%、(4)は11.3%だった(この部分はBig Bounce: Russian gas amid market tightness[https://www.oxfordenergy.org/wpcms/wp-content/uploads/2021/09/Russian-gas-amid-market-tightness.pdf]を参照)。つまり、上限価格なるものを設けるといっても、複雑なのだ。

天然ガスは採掘にも、ガスパイプライン敷設にも、あるいは液化するためにも、巨額の投資が必要であり、その投資を回収するためには長期契約が基本である。ゆえに、スポット価格に基づくガス市場は実際のガス取引を必ずしも反映したものではない(詳しくは拙著『パイプラインの政治経済学』を参照)。2000年代に入る前は、数カ月前の石油価格の移動平均をもとにガス価格を決める方法が一般的だったが、短期指向の価格形成方式が増加する傾向にある。

注意しなければならないのは、ロシア側は長期契約の遵守を気にかけながら、一方的なガス削減を実施している点である(その正当性には大きな疑問があるのだが)。長期契約に基づくガス取引と供給に関連して、2022 年第 2 四半期に二つの重要な出来事があったことは知っておくべきだろう。第一に、欧州委員会による独占禁止法の調査の脅威を受け、ガスプロムは突然、欧州子会社への出資を即時撤回すると発表した。この影響はガスプロム・ゲルマニア(現在、ドイツのガス規制当局であるBNetzAの一時的な管理下にあり、新しい名称はSecure Energy For Europe, SEFE)およびその多くの子会社(ガス貯蔵会社[ドイツとオーストリアのアストラ社など]やガス取引会社[英国のガスプロム・マーケティング・アンド・トレーディング社など]を含む多くの子会社が含まれている)におよんだ。その結果、ガスプロムは欧州のスポット市場での取引を事実上停止したため、取引子会社へのガスの供給はなくなり、下流の貯蔵能力を保有しなくなったため、貯蔵在庫を補充するためのガスの供給も行われなくなったのである。第二に、2022年3月31日に出されたロシア大統領令の結果、ガスプロムの「非友好的」な国のすべての取引先に対して、今後ガス供給の代金をユーロや米ドルではなくルーブルで支払うよう要求したことである(詳しくは拙著『プーチン3.0』第5章第1節を参照)。

そのうえで、Quarterly Gas Review: Short- and Medium-Term Outlook for Gas Markets(https://a9w7k6q9.stackpathcdn.com/wpcms/wp-content/uploads/2022/08/Gas-Quarterly-Review-Issue-18.pdf)は、つぎのように的確に指摘している。「重要なことは、ガスプロムのパイプライン容量の必要性の減少(スポット取引の停止、旧子会社へのガス供給、ルーブルでの支払いを拒否した者への長期契約によるガス供給)が、実際のパイプライン容量の減少(ヤマル-ヨーロッパパイプラインに対するロシアの制裁、ウクライナ経由のトランジット減少、ノルドストリーム容量の減少による)ほど大きくなかったということであった。その結果、ガスプロムは、複数の取引先への長期契約に基づくガス供給に関して、タービンの問題を理由に不可抗力を宣言し、ガスプロムは現在、これらの取引先との長期契約上の約束を履行していないとしている」。

 

経営者の「自業自得」

プーチンは10月12日、国際フォーラム「ロシア・エネルギー・ウィーク」全体会議で講演し、長期契約から短期契約への切り替えを推進してきた欧州側を、いわば「自業自得」だと皮肉った内容についてのべた。プーチンは、「専門家の試算によると、今年だけで、ガスのスポット価格メカニズムにより、ユーロ圏のGDPの約2%にあたる3000億ユーロ以上の損失が発生するそうだ」と指摘したうえで、つぎのように話した。

「石油に連動した長期契約を利用すれば、このような事態は避けられる。プロフェッショナルの方々はここに座っておられるので、私が何を言っているのかご存知でしょうが、スポット市場と長期契約による価格の差は3倍、4倍です。これはだれがやったんだ?自分たちでやったんです。実は、このような取引方法を私たちに押しつけていたのです。実際、ガスプロムに一部スポット市場への切り替えを強要し、今になって文句を言っているのだ。まあ、それは自分たちのせいなんですけどね。」

この指摘はきわめて重要である。注意しなければならないのは、欧州の経営者が自ら短期指向を強め、長期契約を望まず、短期契約に移行してきた事実なのだ。その結果、今回のような事態に直面すると、短期のスポット価格の急上昇で経営基盤さえ揺さぶられることになる。要するに、経営者の「自業自得」というプーチンの見方は的を射ている。

このスポット価格の隆盛はヨーロッパにおいてもLNG輸入が増加したことが関係している。通常、LNG船を使えばどこにでも運搬可能なLNGは短期的な需給変動に即応しやすい。そのため、LNGはスポット取引されることが多い(もちろん、大量にLNGを輸入する日本のような場合、むしろ長期契約によって量を安定的に確保することが長くつづいてきた)。その結果、LNG取引の短期指向が天然ガス取引市場の短期指向化につながっているのだ。

興味深いのは、ロシア産ガスの代替として米国で液化されたLNGの欧州への大量輸出をねらう米国企業がLNGの長期契約を欧州企業に求めていることである。ロシアの報道(https://www.rbc.ru/politics/15/01/2023/63c455619a794796573033a0?from=from_main_10)によると、「米国最大のガス生産会社EQTのトビー・ライス代表は、アブダビで開かれた会議で、「米国は欧州に天然ガスを12ドル/100万BTU(英国熱量単位)で供給する用意があるが、長期契約が必要だ」と述べた」という。大量にLNGを購入する場合、たしかに長期契約には利点がある。だが、米国側が長期契約を求めている背景には、将来、ロシア産ガスのPL輸送が復活しても、欧州企業がこの輸送コストの安いガス購入を再び購入することがないように長期にわたって欧州企業を閉じ込める(ロックイン)するねらいがある。

 

協議の行方

10月18日の情報(https://www.nytimes.com/live/2022/10/18/world/russia-ukraine-war-news#brussels-proposes-further-emergency-measures-to-address-europes-mounting-energy-crisis)によれば、欧州連合(EU)は10月18日、エネルギー危機に対処するための緊急措置に関する新たな提案を発表した。EU委員会は直接的な上限を設けず、ガスの共同購入、ガス消費量のさらなる削減、ロシアが完全に供給を停止した場合の各国間の燃料共有の強化に焦点を当てた。また、価格抑制のためのエネルギー市場への限定的な介入も提案したという。具体的には、同委員会は域内の天然ガスに新たな価格設定を行うことを提案した。一方、同委員会は、緊急時の最後の手段として、価格制限のオプションを設けることを提案したが、技術的な詳細については詳しく説明しなかったという。いずれにしても、天然ガスをめぐる新しいメカニズム構築にはさらなる時間がかかるだろう。

欧州理事会は10月21日、理事会と欧州委員会に対し、以下の追加措置および欧州委員会の提案について、とくに長期契約の非割り当てを含む既存の契約への影響を評価し、異なるエネルギーミックスと国情を考慮した上で、具体的な決定を早急に提出するよう要請するとした(https://www.consilium.europa.eu/media/59728/2022-10-2021-euco-conclusions-en.pdf)。その提案には、①ガス貯蔵充填需要の15%に相当する量の拘束力のある需要集約を除き、各国のニーズに応じて自主的にガスを共同購入する、②2023年初頭までに、ガス市場の状況をより正確に反映する新たな補完的ベンチマークを設定する、③過剰なガス価格を直ちに制限するための天然ガス取引に関する一時的なダイナミック価格コリドー、④発電におけるガス価格に上限を設けるEUの一時的な枠組み――などが含まれている。

この合意では、「長期契約の非割り当て」なる意味がよくわからない。常識的には、長期契約に国家が介入することは許されない。さらに、共同購入は国家独占を擁護するものであり、これもその合法性が疑われる。すでに、ハンガリーはEU首脳会議で、ガス価格の上限設定や燃料の共同購入に参加しないことを認める例外措置を確保したと、ヴィクトル・オルバン首相が10月21日に自身のFacebookページでのべている。

 

ガス上限価格の提案

欧州委員会は11月22日、EU域内の企業や家庭をガス価格の過度の高騰から保護するための市場調整メカニズム(Market Correction Mechanism)を提案した。ガス供給の安全性を確保しながら、欧州のガス市場の変動を抑えることを目的としたものである。この提案は、前述したオランダのガス価格ハブ指標、TTFデリバティブの前月比に1メガワットアワー(MWh)あたり275ユーロ(天然ガス価格で1000立方メートルあたり約3000ドル)の安全価格上限を設定するものである。その発動には、①前月のTTFデリバティブ決済価格が2週間にわたり275ユーロを超えた場合、②TTFの価格がLNGの基準価格より58ユーロ高い日が2週間以内に10日間連続した場合――という2条件を満たすことが必要とされ、2条件が満たされた場合、エネルギー規制協力庁(ACER)は直ちに市場修正通知を欧州連合官報に掲載し、欧州委員会、欧州証券市場庁(ESMA)、欧州中央銀行(ECB)に通知する。翌日には価格訂正メカニズムが発動され、安全価格上限を超える前月限TTFデリバティブの注文は受け付けられなくなる。同メカニズムは2023年1月1日から発動することができる。ただし、供給保証の問題を回避するため、価格上限を先物商品(TTF前月限商品)のみに限定し、市場運営者が需要要求に応じ、スポット市場や店頭でガスを調達できるようにする。

なお、このメカニズムは、天然ガス市場の状況、すなわちTTF価格とLNG価格のギャップが連続10取引日間に満たなくなり、その運用が正当化できなくなった場合、自動的に停止されるほか、EUの供給安定性、需要削減努力、EU域内のガスの流れ、財政安定性に対するリスクが確認された場合、欧州委員会が同メカニズムの停止を決定できる。さらに、ECBを含む関係当局がそのようなリスクの顕在化を警告した場合、欧州委員会がメカニズムの作動を阻止することも可能である。

この提案は11月24日のEUエネルギー相会議で議論されたが、合意に至らなかった。その背景には、現状、ガス価格の低下で、275ユーロ/MWhが高すぎるという意見があるからである。The Economist(https://www.economist.com/briefing/2022/11/24/the-costs-and-consequences-of-europes-energy-crisis-are-growing)によれば、2023年第1四半期に供給される天然ガスは、1MWhあたり約125ユーロ(130ドル)で販売されており、夏の300ユーロ以上から下落している。欧州最大の経済大国であるドイツの電力卸売価格は、8月のピーク時の800ユーロ/MWh以上から今週は200ユーロ以下にまで急落している。このため、フランスやスペインなど一部の国にとっては高すぎ、上限が実際に適用されないのではないかと懸念しているわけだ。

これに対して、ドイツは、275ユーロより低いと、ガスが世界の他の地域に流用され、不足することになるので困るという立場にある。このため、EUではさらなる議論が求められている。

天井に選ばれた1000立方メートルあたり3000ドルという価格は、2022年8月の6日間だけにおいて現実に到達したにすぎない。その意味で、この措置が実際にガス料金を抑制することになるのかどうかはよくわからない。むしろ問題なのは、年間6兆ユーロの取引量を誇る世界最大級の商品市場にEU加盟国が介入しようとする行為自体である。この市場には、投機資金なども流れ込んでいるから、国家による介入によってガス会社だけでなく、銀行や金融機関など、EUをはるかに超えたところにまで影響がおよび、それが世界中の市場経済全体に打撃を与えることすら想定できる。だからこそ、上限価格の適応上限が厳格化されたともいえる。だが、そんなことなら、そもそもこんな規制自体を見送るべきだろう。

 

共同購入については合意

他方で、11月24日のEUエネルギー相会議では、天然ガスの共同購入が合意された。EU加盟国は、ガス会社やEUおよびエネルギー共同体諸国でガスを消費する企業が、ガスの輸入需要を提出することで合意した。具体的には、第一段階として、EUは、サービス・プロバイダーを雇い、集約された需要を計算し、総需要を満たすためのオファーを世界市場で求める。加盟国は、国内の事業者に対し、2023年の各自のガス貯蔵所への充填義務の15%(EU全体では約135億㎥)に相当する量のガス需要を集約するために、サービス提供者を利用するよう要求する。15%を超える分については、集約は任意であるが、同じメカニズムに基づく。

第二段階としては、ガス会社やガスを消費する企業は、集計した需要に見合った天然ガス生産者や供給者から、個別または他社とコンソーシアムを組んで、プラットフォームを通じてガスを購入することを選択することができるようになる。

同規則には、入札やガス供給購入の意図や結論の透明性を高めるための規定も含まれており、年5億㎥強を超えるガス購入を計画する場合、企業は事前に欧州委員会と加盟国に通知することが義務づけられている。

もう一つ重要なことは、ロシアのガスが共同購入の対象から除外されることになった点である。ロシア産ガスへの依存からの脱却が明確化されたことになる。

なお、すでに紹介した、ガス市場の状況をより正確に反映する新たな補完的ベンチマークについては、EUのエネルギー規制協力庁(ACER)に、LNG取引の安定的かつ予測可能な価格設定を実現する、新しい補完的な価格ベンチマークを開発することを求めている。新しいベンチマークは2023年3月31日までに利用可能になる予定である。その理由は、卸売契約におけるガス価格を決定する主要なベンチマークとして機能しているTTFがEUにおけるLNGの取引価格を正確に反映しているとは言えないためだ。

 

1219日の上限価格合意

EU理事会は2022年12月19日、「過剰なガス価格を制限するための一時的メカニズムに関して合意」(https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2022/12/19/council-agrees-on-temporary-mechanism-to-limit-excessive-gas-prices/)というプレス・リリースを公表した。EUのエネルギー担当閣僚が政治的合意に達したもので、エネルギー供給の安全性と金融市場の安定性を確保しつつ、世界市場価格を反映しないEU域内の過剰なガス価格の発生を抑えることを目的として、市場調整メカニズムが自動的に起動するメカニズムを導入するというのである。すなわち、①TTFの前月価格が180ユーロ(191ドル)/MWh(天然ガス価格で1000立方メートルあたり約1975ドル)を3営業日超過した場合、かつ、②TTFの前月価格が、同じ3営業日の世界市場のLNGの基準価格より35ユーロ高いこと――という2条件のもとで、天然ガス先物取引に20営業日の「動的入札制限」(dynamic bidding limit)が設定されることになる。つまり、この価格上限が導入されると、前月から前年のTTF契約において、既存の液化天然ガス(LNG)価格査定に基づく基準レベルを上回る35ユーロ(37ドル)/MWhを超える価格で取引されることができなくなるのだ。過去3営業日連続で180ユーロ/MWhを下回ると、自動的に入札制限は解除される。この仕組みは2023年2月15日から1年間適用される。エネルギー規制協力庁(ACER)は市場を常時監視し、市場調整事象が発生したことを確認した場合、「市場調整通知」をウェブサイトに掲載する予定だ。この市場調整メカニズムはあくまで卸売取引についての規制であり、店頭取引には上限は適用されない。

この合意に際して、もっとも注目されたのはドイツが前回の275ユーロよりも大幅に低い180ユーロであっても、これに賛成したことである。欧州大陸で最大のガス消費国であるドイツは、これまで価格が制限された場合、より高い価格を求めてLNGが欧州以外のアジアなどに輸出されてしまうことを恐れていた。上限価格が低く設定されるほど、その可能性が高まるにもかかわらず、今回は上限設定に賛成票を投じた。おそらくガス価格の上限設定に前向きな国々からの批判を恐れたためであろう。ハンガリーのミン・シヤルト外相によると、ハンガリーを含む9カ国がガス価格の上限設定に反対し、オーストリアとオランダは棄権した。

注目されるのは、オランダの棄権である。TTFを運営するインターコンチネンタル取引所(ICE)は、現物トレーダー、ヘッジファンド、その他の市場参加者が価格変動に対するヘッジと賭けの両方のために利用している。ICEは、ガス市場参加者が支払い不能(デフォルト)の場合に取引を保証するために必要とされる保証金(証拠金)を取引の前提としているが、今回の措置の導入で、保証金の増額をしなければならず、それが取引所の運営に打撃を与える可能性がある。だからこそ、ICEのあるオランダは今回の上限価格設定に慎重だった。

12月19日、TTFの1月ガス先物は1000㎥あたり1284ドルでピークに達した。EUの決定を背景に相場は下がり始め、1000㎥あたり1225ドルだった相場は1170ドル、つまり4.5%下落した。これまでのガス価格の推移をみると、2022年3月にはガススポット価格が1000㎥あたり3900ドルに迫る史上最高値を記録した。その後、相場は徐々に下がり、8月には再び急上昇したが、秋以降、ガス価格は1000ドルから2000ドルの間で変動している。

 

ガス上限価格の意義

まず、EUのガス上限価格の導入があくまで欧州全体のガス価格の上昇を抑え込むためのものであることを確認する必要がある。ロシア産ガスだけを対象にしたものではない。むしろ影響を受けるのは、欧州に大量のガスをLNGで輸出するようになっているカタールや米国だ。もちろん、PLでガスを供給しているノルウェーやアルジェリアにとっても上限価格の設定は収入を頭打ちにする。LNGであれば、欧州より高くLNGを買ってくれる地域があれば、そちらに供給すればいいことになる。

こうした一方的で身勝手な消費者カルテルは、同時に、前述したガスの共同購入によってより一層強化される。

EUのやり方はガス生産者からみると、どうにも理解できない理不尽なやり方と映るのではないか。ガス輸出国は、ガス輸出国フォーラム(Gas Exporting Countries Forum, GECF)を形成してはいるが、GECFは石油輸出国機構(OPEC)のように生産カルテルを結んでいるわけではなく、緩やかなガス輸出国の利害調整機関にすぎない。こうなると、ガス輸出国としてまとまって消費者カルテルに対抗できそうもない。

だが、消費者側の「短期指向」がもつ欠点、すなわち、過度の変動という問題点がまったく改善されていない以上、いくら消費者カルテルを結んでも、価格そのものの過度の変動という事態にはうまく対応できないのではないかという懸念がある。スポット価格を前提に、一分一秒ごとに価格が変動するというやり方だからこそ、投機資金も入った市場価格が成立し、そこになお一層のボラティリティが生じてしまうのではないか。

そう考えると、もっと中長期の視点にたった消費と生産とのバランスをどうとるかという経営が消費者にも生産者にも求められているのではないかと思えてくる。

加えて、今後、「水素」を中心とするエネルギー革命が本格化することを想定すると、いまからこうした変革を見越した中長期の対応策が必要なのではないか。そう考えると、いまのEUの対応はあまりにも近視眼的な愚かな制裁に思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

補論 ロシアは輸出できなくなった対欧州向け天然ガスをどうするのか

ここで、もう一つ、今後も大幅に減少すると予想されるロシアからの対欧州天然ガスをどうするかについて、ロシア側の対応という観点から論じてみたい。

EU理事会は8月5日、加盟国が2022年8月1日から2023年3月31日の間に、自らの選択による対策で、過去5年間の平均消費量と比較してガス需要を15%削減することに合意したと発表した。この結果、一説(https://expert.ru/expert/2022/43/udlinit-tsepochku/)には、2022年末に、2021年全体のガスプロムの欧州(トルコを含む)への輸出供給量は約1740億㎥より約900億㎥減少するとみられている。さらに、2023年の未使用輸出容量は1200億㎥に達し、10年後までにはさらに増加する可能性があるという。これは、ガスプロムの収益構造を揺るがす重大事態と言えるだろう。ただし、物理的な輸出量の減少はこれまでのところ、天然ガス価格の未曾有の高騰に支えられた収入に影響を及ぼしていない。2022年上半期、ガスプロムのIFRS純利益(日本基準の少数株主損益調整前当期純利益に相当)は2兆5140億ルーブルで、2021年上半期の数字の2.6倍になっただけでなく、過去2暦年の利益合計を上回った。

行き場所を失った天然ガスの一部はロシア国内で消費されることになるだろう。ガスプロム重役会副議長、オレグ・アクシュテンは、2022年9月15日のサンクトペテルブルク国際ガスフォーラムで、ロシアの地域を全面的にガス化することにより、2030年までに国内市場へのガス供給量を200億㎥増加させることができると述べている。しかし、このような国内戦略では、輸出収入の損失を補うことはできない。

当然、別の輸出先を探す戦略が考えられる。その場合、ガスパイプライン(PL)で輸出するのか、それとも液化天然ガス(LNG)化してLNG船で輸送するのかという選択肢がある。PL輸出については、モンゴルを経由して中国にガスを運び、最大年500億㎥を輸出するという「シーラ・シベリア2」(Power of Siberia-2)プロジェクトという計画がある。

Power of Siberia-2は、当初、西シベリア・ラインとして構想されていたルートを断念したものである。結局、モンゴルを経由し、モンゴル国内にパイプライン「ソユーズ・ヴォストーク」(Soyuz Vostok)を建設するプロジェクトと合わせて中国を結ぶ新しいルートとして選択された。2019年、ガスプロムとモンゴル政府はプロジェクトの実施に向けた覚書を締結した。その後、2022年1月にプロジェクトのフィージビリティスタディの結果に関する議定書に署名し、2月には設計・調査作業に関する合意書、および2022年から2024年までのモンゴル政府とガスプロムの共同作業グループの行動計画に署名した。着工は2024年を予定している。モンゴル部分の試運転時期は、2027年から2028年の暫定的な予定となっている。全長は2600㎞。そのうち、1000km近く(963km)がモンゴルを通過することになる。モンゴルの年間ガス消費量は30億立方メートルと推定されており、モンゴルへのガス輸出分は少ないが、ロシア側は、セレンガ川とその支流2カ所に、湖の浅化を招き環境破壊を引き起こす可能性のある複数の大型水力発電所を建設しないよう、パートナー国を説得することに成功したと伝えられている。水力発電所を手放す代わりに、モンゴルを経由国としてパイプラインを建設することになったのかもしれないとみられている。

このPower of Siberia-2がもっとも重要なのは、ロシアの東西のガス輸送システム(GTS)をつなぐことができるという点にある。既存の西シベリアのガスはロシアのヨーロッパ部分に送るか、EUに輸出するしかないが、GTSが相互接続されれば、インフラの容量に制限されることなく、好きな方向に物資を送ることができるようになるのだ。

ただし、中国側はPower of Siberia-2の建設を急いでいるわけではない。より有利な長期契約の条件を獲得しようとしている。2021年、「シーラ・シベリア」(Power of Siberia)による対中ガス輸出量は80億㎥にすぎなかった(同PLの総輸送量は103.9億㎥)。2022年については、供給量は60%増加し、2022年の全体計画では150億㎥をPLで送り出すことになっているが、Power of Siberiaの最大容量(380億㎥)に達するのは2025年になってからであるとみられている。つまり、早急に短期間で対中ガス輸出ルートを建設する理由が見当たらないのである。しかも、2022年2月、ガスプロムと中国石油総公司(CNPC)は、極東ルート(Pipeline Power of Siberia-3)での天然ガス売買の長期契約(年間100億㎥、25年間)を締結した。このプロジェクトがフル稼働すると、ロシアのPLによる中国へのガス供給量は100億㎥/年増加し、幹線PL(MGP:Power of Siberia-1)による供給と合わせて合計480億㎥/年となる。

2021年に中国は3700億㎥を消費したとみられているが、2030年の消費量は5000億㎥以上に達するかもしれない。中国としては、沿岸部についてはLNGで調達し(中国側はLNG受入基地の容量を現在の年間1億600万トンから2025年までに1億7000万トンに拡張すると発表している)、西部や中央部については、中央アジアのトルクメニスタンから(一部はウズベキスタンやカザフスタンからも)のPL供給に加えて、Power of Siberia-2で賄うことを計画しているようだ(パイプラインの4本目であるDラインの建設により、中国へのトルクメンガス供給量を年間650億㎥とするプロジェクトについては、明確になっていない。2015年に着工する予定だったが、延期となった)。北部については、Power of Siberiaや極東PLによるガス供給が想定されている。

ただし、2022年末の中国向け輸出は170億〜180億㎥程度にとどまるのではないかと推測されている。中国への供給が少なくとも1000億㎥(EUの2021年の3分の1)に達するのは、2028年から2029年にかけてと予想されているのが現状だ。

PLには建設期間が必要であり、ロシア側は2028年の完成を予定しているとしているが、その可能性は大いに疑問である。いずれにしても、ウクライナ戦争勃発に対する対ロ制裁で、対欧州ガス輸出が困難になった結果、行き場を失った天然ガス輸出の短期的な新ルートとはなりえない。

 

LNGについて

LNGについてはどうか。ロシアでは現在、ガスプロムのサハリン2、民間ガス会社ノヴァテクのヤマルLNGという2つの大型LNGプラントが稼動している。GIIGNLによると、2021年のロシアのLNG輸出量は2960万トンで、オーストラリア(7850万トン)、カタール(7700万トン)、米国(6700万トン)に次ぐ第4位。全体では、2021年の世界のLNG輸出のうち、ロシアが占める割合は8%弱である。GIIGNLによると、2021年のヤマルLNGからのガスの主な買い手は、フランスのTotalEnergies(400万トン)、中国のCNPC(300万トン)、ガスプロムの旧貿易部門GM&T(290万トン、2022年夏にガスプロムを離れ、ドイツ政府に買収)であるという。ノヴァテクとスペインのナトゥルギー・エナジー・グループも年間250万トンを購入している。Arctic LNG 2からのLNG量はすべて2021年に契約され、そのほとんどである年間1120万トンをノヴァテク自身が取得した。

ガスプロムは、サハリン2プロジェクトにおいて、Royal Dutch Shell、三井物産、三菱商事とともにLNG工場を運営してきた実績がある。そこで、当初、対アフリカ・中東向けのLNG工場としてレニングラード州に建設が構想された。2016年6月、ガスプロムおよびRoyal Dutch ShellはバルトLNGプロジェクトに関する相互理解議定書に署名した。これを機に、バルトLNG実現に向けた具体的な動きがスタートする。2017年6月、上記2社は合弁会社に関する基本合意条件に署名した。レニングラード州でのLNG生産工場の企画・資金調達・建設・運営に関する作業が進められることになる。同時に、双方はウスチ・ルガ港でのLNG生産工場建設を前提とするバルトLNGプロジェクトに関する共同調査枠組協定も結んだ。ウスチ・ルガ港でのLNG工場建設は、ノルドストリーム2(NS-2)向けに輸送されてくるガスの一部をLNG化することを意味している。つまり、このプロジェクトはNS-2に付随した計画だった。

2018年12月の情報では、ガスプロムは日本の伊藤忠商事とバルトLNGプロジェクトに関する相互理解議定書に署名した。すでに、ガスプロムは9月に三井物産と三菱商事とも類似の調印を済ませており、これでバルトLNGプロジェクトへの参加企業も明確化してきた。なお、三井と三菱はサハリン2プロジェクトにShellとともに参加しているから、バルトLNGに参加するのは当然と言えなくもないが、伊藤忠の参加は初の試みであり、注目された。2018年末時点では、年間のLNG生産能力650万トンのラインを2本、合計1300万トンのLNG工場の建設が計画され、バルトLNGプロジェクトのうち、50%強をガスプロム、25~35%をShell、残りを三菱、三井、伊藤忠が保有することが検討されているとみられていた。しかし、その後、2019年4月、シェルがプロジェクトからの撤退を表明し、日本勢も手を引く。これは、同プロジェクトに関連していたルスガスドブィチャが米国とEUから制裁対象となっているアルカジ・ローテンブルグと関係があるため、シェルがリスクを回避したものと考えられている。

その後、ロシア企業ルスヒムアリヤンス(ガスプロムとルスガスドブィチャの合弁会社)がプロジェクトに参画し、2021年5月に工事が着工された。レニングラード州のウスチ・ルガ港にLNG生産能力650万トンのラインを2本、合計1300万トンのLNG工場を建設する。最初のラインは2024年、2本目は2025年に稼働する計画だ。

このバルトLNGとは別に、ポルトヴァヤ・コンプレッサー・ステーション近くのLNG生産・貯蔵・積出コンプレクス建設計画がある。ノルドストリーム(NS)はヴィボルグからバルト海海底に敷設されたPLによってドイツへとガスを輸送している。そのヴィボルグにLNG生産・貯蔵・積出コンプレクスを建設しようというのが、このプロジェクトである。

ただし、最初からLNG生産が計画されていたわけではない。転機となったのは、船舶による汚染防止のための国際条約(マルポール条約)である。マルポールとは、Marine Pollutionの略であり、1973年の船舶による汚染防止国際条約(International Convention for the Prevention of Pollution fron Ships)に関する1978年の議定書がマルポール条約と呼ばれ、1983年に発効している。2015年からは、バルト海、北海などのゾーン向けに船舶燃料に占める硫黄割合の限度規制が厳しくなった(2020年1月1日からは全世界でより厳しい規制が開始される)。このため、船舶燃料への重油利用が大幅に減り、燃料としてのLNG利用の増加が見込まれるようになる。そこで、船舶燃料用にLNGを生産し、船舶が利用しやすくする設備をヴィボルグに建設する計画が進んだのだ。

2016年10月28日、このプロジェクト実現のために、ガスプロムは「石油ガス調査企画研究所ペトン」と請負契約を結んだ。LNGの生産能力は年150万トンになる見込みで、2019年中の稼働が予定されていた。実際に稼働にこぎつけたのは、2022年9月である。2022年9月7日付の「コメルサント」(https://www.kommersant.ru/doc/5548142)によれば、前記のルスヒムアリヤンスはポルトヴァヤLNGプロジェクトの株式取得の交渉中であるという。なお、ポルトヴァヤLNGのLNG生産量は年350万トンに増強する計画がある。

こうした状況から、輸出できなくなった天然ガスの一部をポルトヴァヤLNGに回すことは可能だ。しかし、年150万トンのLNGは20億㎥程度の天然ガスに相当するにすぎないから、この工場に多くを期待することはできない。フィンランド、バルト三国、ポーランド、英国はロシアのLNGの購入を停止した。このため、ガスプロムは北欧以外の市場を探す必要に迫られている。

なお、民間ガス会社ノヴァテクの大型LNGプロジェクト「Arctic LNG-2」(設計生産量1980万トン/年)は、同社のレオニード・ミケルソン取締役会長兼共同オーナーは、9月7日の世界経済フォーラムで、LNGプロジェクトの第1ラインを2023年12月、第2ラインを2024年、第3ラインを2026年に立ち上げる予定であることを明言した。しかし、しかし、このプロジェクトが計画通りに実施される可能性は低い。Arctic LNG-2の契約者であるドイツのリンデ社の離脱が主な原因だ。加えて、前述した年1300万トンのバルトLNGプロジェクトの見通しも不透明であると指摘しなければならない。

すでに、ガスプロムはガスプロムの輸出量は月を追うごとに減少しており、2022年1~6月は前年同期比31%減の689億㎥、7カ月では34.7%減、8カ月では37.4%減となり、9月15日、2022年1月1日から9月15日までの遠距離海外向けガス供給量が前年同期比38.8%、537億㎥減少し、848億㎥となったと発表した。ガスプロムのガス採掘量も、年初から15.9%(568億㎥)減少し、3008億㎥となった。

こうした状況から、短期的には、ガスプロムはガス採掘量の削減を余儀なくされることになるのは確実だろう。

問題はまだある。ロシアにLNG化技術が不足しているために、長期的にみても、LNGの生産量を増加することが可能かどうかはまったく未知数なのだ。2022年の夏の初め、ロシアのエネルギー省は、LNG産業発展のための長期計画で設定された液化天然ガスの目標指標1億2000万〜1億4000万トンを堅持するとしていた。しかし、欧米の技術や設備を利用できなくなるなかで、2035年までの生産量見通しを8000万〜1億2000万トンに引き下げた。LNGの中・大型バッチ生産用設備の試作に使われる20億ルーブルは、業界関係者の間では不十分とされている。LNG産業における輸入代替には、240億ルーブルの研究開発資金が必要であるとの説もあるほどだ。

ここで思い出す必要があるのは、LNGはグリーンアジェンダからの移行燃料とみなされ、OECD諸国での使用は短期的な歴史的観点から減少しはじめるため、低排出の水素・アンモニア戦略は大規模LNGよりも望ましいとされている点である。事実、コンサルタント会社Rystad Energy社の最近の長期予測によると、世界の「LNGピーク」(エネルギー輸送船の需要のピーク)は、すでに2034年に到達するという。大規模なLNG生産の技術がないため、技術だけでなくそれを実現するための投資資源をもつ米国、カタール、オーストラリアなどのLNG輸出国に対して、ロシアは技術も投資資源もないから、「負け組」ということになるが、LNGのピークが迫っていることを考慮すると、ロシアは別の長期戦略、すなわち、温室効果ガスの低排出の「ブルー水素・アンモニア戦略」に舵を切るという選択肢をもつ。

 

ブルー水素とアンモニアに活路

長期的な戦略として有効性が見込まれる戦略がロシアに存在しないわけではない。それは、「ブルー水素」と「アンモニア」に活路を見いだそうという戦略である。これこそが「水素・アンモニア戦略」だ。この戦略を理解してもらうには、まず、水素製造にかかわる基本的な情報を知る必要がある。

2020年7月になって、欧州委員会は「水素戦略」(https://ec.europa.eu/commission/presscorner/api/files/attachment/865942/EU_Hydrogen_Strategy.pdf.pdf)を公表する。①2024年までに、欧州連合(EU)域内に少なくとも6ギガワット(GW)の再生可能水素電気分解(電解)装置を設置し、最大100万トンの再生可能水素の生産を支援、②2025~2030年にかけて、水素は統合エネルギーシステムの本質的な部分となる必要があり、少なくとも40GWの再生可能水素電解解装置と1000万トンの再生可能水素をEUで生産することが求められている、③2030年以降、再生可能水素はすべての脱炭素化の困難な部門に大規模に導入される――というのが工程表だ。

この水素戦略をわかりやすく示したのが「欧州水素戦略の概略」である。そこに登場するのが「グリーン水素」である。これは、核発電所を除く、風、太陽、水、炭化水素を使用しない他のエネルギー源を利用した水の電気分解によって得られる水素を指している。ほかに、「ブルー水素」(2 H₂O=>2 H₂+O₂)と呼ばれるものがある。こちらは、天然ガスや石油(ガソリン、灯油、ナフサ)といった化石燃料を高温下で水蒸気と反応させる(CH₄+2H₂O=>4 H₂+CO₂)ことで水素や二酸化炭素を含むガスが発生(水蒸気改質)し、圧力変動吸着分離法(PSA)で他の物質と分離し水素だけを取り出すことと、発生する二酸化炭素を「二酸化炭素回収・貯留」(CCS)技術を使って収集し、地中深くに貯留・圧入するか、あるいは、「二酸化炭素回収・利用・貯留」(CCUS)技術を使って二酸化炭素を古い油田に注入し油田に残った原油を圧力で押し出しつつ、二酸化炭素を地中に貯留するという組み合わせによって製造されるガスを意味している。なお、核発電による電気を利用して製造される水素は「オレンジ水素」と呼ばれることがある。「二酸化炭素回収・貯留」(CCS)技術なしの場合、「グレー水素」と呼ばれている。

国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の公表している報告書Global Renewables Outlook: Energy transformation 2050(https://www.irena.org/-/media/Files/IRENA/Agency/Publication/2020/Apr/IRENA_Global_Renewables_Outlook_2020.pdf)によれば、今日、年間約120メガトン(Mt)(14 EJ)の水素が生産されている。しかし、そのほぼすべてが化石燃料から、あるいは化石燃料で発電された電気からつくられており、カーボンフットプリントが高く、グリーン水素は1%未満である。ただ、グリーン水素は、再生可能な電力で電気分解して製造され、そのコストは急速に低下している。グリーン水素は、今後数年のうちに、低コストの再生可能電力が利用できる地域では、ブルー水素(化石燃料とCCSを組み合わせて製造)とコスト競争力を持つようになると予想されている。さらに、水素は炭化水素やアンモニアに加工することができ、船舶や航空機の排出ガス削減に貢献することができる。2050 年までに、エネルギー転換シナリオでは、年間 160 Mt (19 EJ) のグリーン水素が生産されると予測されている。ただし、この量は、現在の世界のエネルギー需要の 5%をカバーするに過ぎず、さらに 2.5%はブルー水素でまかなわれる。この量を生産するには、電解槽の大幅なスケールアップが必要であり、現在から 2050 年まで、年間 50GW から 60GW の新規容量の追加が必要である。

 

メタンの熱分解による水素製造

いずれにしても、こうした抜本的な大変革が見込まれているため、ロシアの産出する天然ガスについても長期戦略に基づく変革が以前から検討されていた。ロシアが注目するのは、メタンの熱分解による水素製造だ。酸素を利用せずに天然ガスから水素を得る方法(CH₄=>2 H₂+C)で、二酸化炭素の生成を排除し、その代わりに固体炭素(すす)が副産物となるが、気候的に中立であり、幅広い用途に利用できるという。この水素製造方法は消費エネルギーが少なくてすむという特徴がある。ロシア国営の総合エネルギー企業、ガスプロムのデータによると、水の電気分解では1立方メートルあたり2.5~8キロワット時の電力量が必要だが、メタンの熱分解では0.7~3.3キロワット時ですむ。ドイツのBASFによると、その差はさらに大きく、3~4倍どころか10倍近くにもなるという(ロシア語の『エクスペルト』[https://expert.ru/expert/2021/04/kak-ne-ugodit-v-vodorodnuyu-lovushku/]による情報)。

ロシア政府は2020年6月9日付の政令により、「2035年までのエネルギー戦略」(https://minenergo.gov.ru/system/download-pdf/1026/119047)を承認した。このなかで、「天然ガスから水素およびメタン・水素混合物を製造することは、天然ガス利用の多様化と効率向上のための有望な方法である」と明記されている。さらに、「ロシア連邦は水素製造のはなはだしい潜在力をもっている」と指摘している。そのうえで、電気分解やメタン熱分解による国内での水素製造が計画され、2024年までに20万トン、2035年までに200万トンの水素輸出が計画されていた。

ただ、この計画を実現するには、ガスプロムが運営している幹線ガスパイプラインを水素輸送用に置き換える必要性が生まれる。これは、既存のガスパイプライン網を破壊することを意味し、国家財政の大黒柱であるガスプロムの収益に大打撃を与えかねない。このため、いまでは天然ガス輸出を維持し、消費地であるEU域内で熱分解して水素を製造するという選択肢のようがロシアの利益になるとの見方が生まれている。そうであるとすれば、ノルドストリームやノルドストリーム2が破壊されても、致命的な打撃ではないと「強がる」ことも可能となる。

2020年10月12日付政令で、「2024年までの水素エネルギー開発に関する行動計画(ロードマップ)」が承認された。水素エネルギーをさまざまな分野で利用することがカーボンニュートラルを実現するための重要な手段と位置づけられている。実は、ソ連時代、世界初の水素エンジン搭載機(トゥポレフ155型機)を誕生させた経験があるだけに、ロシアが「水素元年」以降、急浮上する可能性がないわけではない。2020年9月には、ロシアの無人航空機の開発者が世界で初めて水素燃料電池を無人機に搭載し、飛行試験の準備が整ったとの記事(https://expert.ru/expert/2020/37/vodorod-vzletaet-vertikalno/)がロシア語雑誌『エクスペルト』に掲載された。

 

「ブルー水素・アンモニア戦略」にとっての四つの障害

ここで、「ブルー水素・アンモニア戦略」にとって、現状では四つの障害があるという話をしなければならない。①低排出(ブルー)ガス水素の世界市場が存在しない現状、②ロシアから世界市場に輸出される水素は、既存の主要ガスパイプラインを利用できないため未解決の問題がある、③ロシアにとっての非友好的な国の消費者がロシア産の水素を拒否する可能性があるため、水素問題への関心が低下している、④温室効果ガス排出の観点から「ブルー」水素を「グリーン」電解水素のレベルにまで引き上げる、二酸化炭素を高い割合で回収するメタン分解技術の利用可能性に疑問がある――というのがそれである。

だが、これらの障害は決して克服できないわけではない。まず、ブルー水素やグリーン水素の消費量は2050年まで、そしてそれ以降も、順調に伸びていくと考えられる。国際エネルギー機関(IEA)は、2021年に100万トン未満だった非公害水素の消費量を、2030年には1600万〜2400万トンと予測している。

コンサルティング会社のマッキンゼー社は、2030年までの期間の水素プロジェクトのプールのコストを2400億ドルと推定しており、そのうち220億ドル相当のプロジェクトがすでに最終的な投資決定をくだしているとしている。発表された投資額と決定された投資額のギャップは、欧州やアジアのエネルギー危機によって説明される。このギャップは、米国が2022年8月の水素経済刺激法案(IRA)の実施を開始することで、急速に縮まりはじめるだろう。

 

明るい水素の未来

『エクスペルト』[https://expert.ru/expert/2022/43/udlinit-tsepochku/]によると、国際再生可能エネルギー機関IRENAは、2050年までに世界で年間6億1400万トンの水素を製造する必要があり、そのうち3分の2がグリーン水素、2億500万トンがブルー水素になると試算している。同年に世界で生産される水素の約4分の1が国際取引され、そのうち1億トンがグリーン水素、5000万トンがブルー水素になるという。水素の半分は水素パイプラインで、残りはアンモニアとして海路で輸出される。このような背景から、2021年8月5日の政令(http://static.government.ru/media/files/5JFns1CDAKqYKzZ0mnRADAw2NqcVsexl.pdf)で承認された「特別軍事作戦」以前に採用された「ロシア連邦における水素エネルギー開発のコンセプト」にある、「ロシア連邦から正解市場への水素輸出の可能性は、世界の低炭素経済の発展ペースと世界市場での水素需要の伸びに応じて、2024年に20万トン、2035年に200万~1200万トン、2050年に1500万~5000万トンになる可能性がある」との記述は決して過大なものではない。

世界の既存の水素供給量7000万〜7500万トンのうち70%以上が天然ガスによるものだ。ただし、この水素は二酸化炭素排出量が多い「グレー」なカテゴリーに属するものである。純粋な水素の世界市場は、電気分解による「グリーン」水素と、天然ガスから水蒸気改質法で製造し、その過程で回収したCO2を埋蔵する「ブルー」水素の両方で発展していくと思われる。

サウジアラムコ、シェル、エクイノール、カタールガスなどのガスメーカーは、すでにブルー水素への戦略的投資家としての役割を決定している。サウジアラムコは、2020年9月に世界で初めて「ブルー」アンモニアを生産し、日本へ出荷した。

ロシアのエネルギー省がブルー水素の輸出に冷淡な態度をとっているにもかかわらず、ロシアでは企業レベルでブルー水素に対する関心が着実に高まっていることがうかがえるという。産業・商業省の「低炭素・カーボンフリー水素・アンモニア製造のためのロシアプロジェクト一覧」によると、33のパイロットプロジェクトがあり、そのうち27が「グリーン」な電解水素に関連するものであることがわかる。

ほかに、四つのブルー水素プロジェクトがあり、なかでもノヴァテク社のOb GHKプロジェクトは、年間220万トンのアンモニア生産量を見込んでおり、長期的には500万トンまで増加させる計画をもっている。北極圏や極東におけるブルー水素・アンモニアプロジェクトは、「天然ガスの抽出-港湾エリアでの水蒸気改質-生産拠点での再圧入によるCO2排出の抑制-水素抽出-アンモニア生産-輸出用の海上輸送」という短い輸送チェーンが特徴となっている。

 

アンモニアで輸送

いまでは、低炭素型水素の長距離輸送は解決可能な問題であるとみられるようになっている点も重要だ。比較的最近、ヨーロッパでは液化・圧縮した水素の輸入の可能性が議論されているが、ドイツの有力エネルギー企業の計画からすると、アンモニアの輸入が優先されているようにみえる。たとえば、ドイツのエネルギー大手であるRWEとユニパ―(Uniper)は、まさに低炭素なかたちでつくられたアンモニアを受け入れるターミナルの建設を計画している。このターミナルでは、アンモニアから水素を分離し、水素パイプラインで輸送する。2030年には、ドイツの総消費量の約20%に相当する約60万トンの水素が、これらのターミナルから供給される予定であるという。オラフ・ショルツ首相はカナダを訪問した際、LNGではなくアンモニアの輸入で合意した。つまり、大量の水素そのものを、海を渡って運ぶのではなく、より「便利な」誘導体(アンモニア、メタノールなど)として運ぶことが物流問題の解決策になるのだ。ブルー水素から製造されるアンモニアは、世界的な水素市場の形成にもっとも適したツールであり、さらに将来的には通常のエネルギーキャリアとして利用することができる。

 

肥料としてのアンモニア

いま、世界は天然ガスの価格高騰により、未曾有の窒素肥料危機に直面している。このため、ブルー水素は、肥料を作るための原料であるアンモニアというかたちで、先行き不透明な時期に追加で市場を見つけることができる。2022年8月中旬までに、欧州の窒素肥料生産能力の70%が停止した。この結果、アンモニアは現在、世界の肥料市場が切実に必要としていることを背景にロシアのいう「非友好的な国々」の制裁対象から外されている。ゆえに、温室効果ガスの排出量の少ないアンモニアの生産に石油・ガス会社が参入することで、ロシアからの輸出を阻む障壁が取り除かれる可能性がある。

天然ガスの価格高騰により、世界的に窒素肥料が不足している。そのため、ブルー水素は、アンモニアというかたちで追加的に製造され、その原料となる。ゆえに、「ブルー水素・アンモニア戦略」には明るい可能性があるのである。

ロシアには、従来バルト海の港を利用していたアンモニア専用の積み替えターミナルが一つもなく、トリアッティとオデーサを結ぶアンモニアパイプラインもウクライナ経由のものだけだった。これは、2022年2月24日に停止したが、同年9月、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、捕虜と引き換えにのみ、ロシアのアンモニアをウクライナ経由で輸出することを支持すると発言している。

他方で、アンモニア・窒素肥料メーカーは、別の意味での物流難に見舞われ始めている。製品出荷のための運賃は、ロシアの港でのみ利用可能であった。また、傭船できる船舶の数も大幅に減少した。貨物保険や取引に問題があった。だが、石油・ガス会社がアンモニア事業に参画することで、その潜在力を活かし、必要な港湾インフラ(サベッタ港など)やアンモニアトラック群を整備し、出荷体制を再構築することが可能となるとみられている。アンモニアと液化石油ガス(LPG)は沸点が似ているため、同じ船で運ばれる。また、LNG船はアンモニアの輸送にも適しているという。つまり、LNG船を活用すれば、アンモニアを世界中に輸送できるのだ。

たとえば、インドは従来、アンモニアの輸入に頼っていた。世界最大のアンモニア生産国である中国はすでに輸入を開始している(2021年に80万トン)。トラックを中心とした輸送手段の全面的な水素電池化計画に関連して、中国はとくにカーボンニュートラルな水素の輸入に関心を持っている。また、低公害水素の大量生産は、ロシアの肥料産業が今後必ず直面する問題、すなわち輸入国による国境炭素税の導入を解決するものでもある。

技術に注目すると、アンモニア合成と炭酸ガス注入の技術は、どちらも古くから成熟している。ただし、高い温室効果ガス回収率(95%以上)を達成するためには、最新の自己熱改質(ATR)技術、すなわち、供給される燃料の一部を酸化させ、得られた熱で残りの燃料の水蒸気改質を行うことにより、外部からの熱供給なしで改質する方式(内部熱供給式)が必要である。つまり、課題は残されている。その意味で、ロシアによるウクライナ侵攻後、ユニパー(Uniper)がノヴァテクとの年間120万トンの「ブルー」アンモニア輸入契約を急遽取りやめたことは痛手と言えるだろう。

 

新エネルギー戦略策定の延期

ロシア政府は、2050年までのロシアの新エネルギー戦略の策定を今秋から2023年半ばに延期した。ウクライナ戦争に伴うロシアへの制裁圧力、「シーラ・シベリア2」の契約、「ノルドストリーム」の操業可能性、大規模LNGの技術力を早期に確立する可能性など、多くの不確定要素が絡んでいるからだ。

ここで紹介したように、長期的にみると、欧米の制裁や規制の対象となっている天然ガス量は、ブルー水素の製造とその後の低排出ガスアンモニアへの変換に転用される可能性が十分にある。そうなれば、たとえロシアが長期にわたって制裁を受けたとしても、ブルー水素製造やそれに基づくアンモニア製造によって安定した市場が保証されることも可能と予測できる。

アンモニアはパイプラインに縛られない移動可能な商品であり、適切なインフラのある港であれば、海上輸送で輸出することができる。ロシアを低排出ガスアンモニアの主要輸出国にすることは、世界の肥料市場の動揺を抑え、世界の食糧問題の解決に大きく貢献することにつながる。

こう考えると、天然ガスの買い手の多くをロシアが失ったとしても、それはロシアの「死」を意味しない。こうした長期的な視野にたった論考こそ、もっとも求められているのではないかと指摘しておきたい。

 

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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