Dishonest Abe政治の総括と菅義偉のIR問題を追及せよ

安倍晋三をこのサイトでは、もっぱらDishonest Abeと書いてきた。不誠実、不正直な彼は公職選挙法や政治資金規正法を犯し公文書改竄を許しながら、国民を騙し、自らの権力を維持してきた。そもそもこんな人物が首相を務めること自体が制度上の欠陥なしには考えられない。そのうえで、人間としても政治家としても最低に属する人物が首相の座に7年半も連続していられた不思議について解き明かさなければならない。

 

制度的欠陥

これは、世襲政治家を生み出しやすいシステムに問題がある。親の地盤・看板・鞄という「3バン」を相続して、知名度やカネを得ることで、他の立候補者よりもずっと有利な状況のなかで選挙を戦えるという仕組みを変える必要がある。同時に、投票を義務づけることで、投票率を引き上げて組織票による当選を阻止できるようにすることも求められている。

あるいは、そもそも議員が多すぎる。国会議員は衆参ともに半減すれば十分だろう。地方議員は3分の1でも十分だ。なにしろ、ろくな仕事もしていないのだから。そして、広島県議会にみられるように、「犯罪者」が議員に多くなりすぎている。

 

Dishonestなマヌケでも権力が維持できる不思議

まず、三権分立と言いながら、司法権の独立性が低い現状を改めなければならない。とくに、検察庁の独立委員会化や、米国の特別検察官制度の導入といった司法改革が喫緊の課題だろう。司法取引制度の一部導入で、検察官の権限拡大が企業経営への検察官の干渉といった事態をもたらしている。詳しくは、「論座」に掲載した拙稿「政治家が検察を使って露骨にすべてを支配する 「検察国家化」の悪夢:ロシアの現実を追いかける日本」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020062200002.html)を参照。

同時に、政治家に対する緩い罰則規定を全面的に見直す必要がある。とくに、訂正しても、罪に問われない政治資金規正法を改正し、虚偽記載を厳罰化する必要がある。

行政については、内閣人事局の誕生が「ヒラメ官僚」を増やしたとよく指摘される。2014年5月、内閣人事局は国家公務員の幹部人事を政治主導で一元的に管理し、縦割り行政の弊害を解消するために内閣官房に設置された。もちろん、この一元管理化が政治家に対する官僚の従属性を強めることになった面はあるだろう。しかし、そもそも日本の官僚のデキの悪さを議論すべきだと思う。

ノンキャリアの元官僚、佐藤優は毎日新聞の記事(https://mainichi.jp/articles/20200829/k00/00m/010/161000c)のなかで、「霞が関官僚の中に『やらされている感』が広がっている」と分析する」としている。しかし、この指摘はおかしい。そもそも日本の官僚はグローバリゼーションのもとで、OECDで決まった政策を翻訳して日本に移植するのが仕事の6~7割であり、つねに「やらされている」だけなのだ。自分の発想力で、世界を主導する政策決定に関与できる日本人の官僚がいるとは思えない。もしいるとしても、一人か二人くらいだろう。

官僚は不勉強であり、自らの無能を知らないから、ますます勉強しない。わたしは、「政治家を見たら泥棒と思え」と教えているが、「官僚を見たら、バカと思え」と教えている。とにかく勉強しない。わたしの知っている外交官はとくにひどい。

内閣人事局の設置に伴って、それまでは総務省や人事院が担っていた採用試験や研修といった人事行政の機能が移管されたのだが、そこでどんな官僚研修がなされているかをみてみたい。

上司から「公文書を改竄しろ」と命令されたとき、部下はどうすればいいのか。政治家が人事に介入したとき、どう対処すべきか。こんなことをきちんと教えているのだろうか。

要するに、公務員全体の抜本改革を構想するなかで、政治家と官僚の接受方法なども明確に規定すべきなのだ。日本においても、米国のロビイスト規制法のようなものがぜひとも必要なのである(この問題については、拙著『民意と政治の断絶はなぜ起きた』[ポプラ社]を参照)。

 

マスメディアの責任

Dishonest Abeの長期政権化を支えてきた要因の一つにマスメディアの劣化があるのは間違いない。とくに、テレビ報道の劣化はすさまじい。

まず、テレビ局について語りたい。NHKのひどさは看過できないほどだ。そもそも報道がDishonest Abeを批判しないように偏向している。すでに、論座において、「「道徳的明快さ」が求められるジャーナリズム:客観性、中立性よりも大切な価値から再出発せよ」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020080600003.html)という記事を書いた。いまさら、客観性を理由に道徳的明快さに蓋をして、Dishonest Abeをかばうような報道は認められない。

フジテレビもひどい。テレビ局の職員に対する倫理教育からやり直す必要があるのではないかと思わせるほど悪辣である。はっきり言って、フジテレビのニュースは観るに値しない。

本当は、わたしの書いた「「道徳的明快さ」が求められるジャーナリズム」といった論点を各テレビ局で議論し、客観報道から道徳的明快さ報道に舵を切るくらいの英断が必要ではないか。

他方で、ラジオには期待したい。ここには、道徳的明快さが息づいている。Dishonest Abeの辞職表明に、「残念」などというコメントではなく、「逃げるのか」という発言を紹介することこそ道徳的明快さにつながる。つぎの総裁を決めるのに、党員投票ではなく両院議員総会でお茶を濁そうとする動きを、「卑怯なやり方」とはっきりと糾弾するコメントこそ大切なのだ。ラジオには、まだ、こうした発言があふれている。もちろん、番組によるが。

新聞社もダメだ。Dishonest Abe在職中、「週刊文春」を上回るだけのスクープ記事を書いた新聞社はない。いまや、スクープと言えば、「文春」であって、そのはるか後塵を朝日新聞や毎日新聞、日本経済新聞、東京新聞がうろちょろしているだけだ。因みに、読売新聞はDishonest Abeグループからのリーク記事の収容場所として「広報紙化」している。

新聞社の場合も、官僚と同じで不勉強な者が多すぎる。とくに、朝毎読の記者に言いたいのは、「君たちは日本経済新聞をもっとしっかり読め」ということだ。あるいは、このサイトや「論座」に書いているわたしの論考を熟読せよということだ。

いま現在、日本経済新聞とその他の新聞との力量の差ははっきりとついてしまった。グローバリゼーションのもとで急速に変化するIT関連の情報を知らなければ、もはや政治も経済も文化も語れない。因みにわたしのゼミ生の一人は「バイオアート」について卒論を書こうとしているが、こんな問題を含めて、日本経済新聞を読まなければ何もわからないに等しい状況になっている。

その結果、日経以外の新聞は世界の潮流からまったく遅れてしまっている。それは、世界から取り残されてガラパゴス化している日本政府や日本企業にそっくりだ。

 

菅を首相にするな

世界の潮流の変化を理解したうえで、道徳的明快さに基づく記事を書いてほしい。そうしなければ、Dishonest Abeと同じく、まったく不道徳な政治家が再び首相の座に就くだけだろう。

たとえば、菅義偉はIR推進本部副本部長として旗振り役を務めてきた。収賄罪で起訴された秋元司と菅との関係はどうなっていたのか。時任兼作なるジャーナリストは、「IR汚職、特捜部は「菅官房長官・二階幹事長」を狙っている可能性」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69911?imp=0)を書いている。こんな人物が首相になれば、Dishonest Abeと同じくまったく不道徳な政治家による暗澹たる政治支配がつづくだろう。新聞もテレビも菅の暗部をいますぐ報道すべきだろう。こんな輩を首相にしてはならない。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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