ウクライナ大統領選をめぐって
ウクライナ大統領選をめぐって
塩原 俊彦
3月31日に実施されたウクライナ大統領選では、4月1日現在、中央選挙管理委員会の開票結果(90.26%の段階)によると、ウラジーミル・ゼレンスキーの得票率が30.26%とトップで、ついでピョートル(ペトロ)・ポロシェンコが15.98%、ユーリヤ・ティモシェンコが13.36%、ユーリー・ボイコが11.54%となった。ゼレンスキーとポロシェンコによる決選投票が4月21日に実施される見通しとなっている。
2014年のウクライナ危機の表面化後、わたしは『ウクライナ・ゲート』や『ウクライナ2.0』といった本を刊行した。爾来、ウクライナへの関心を持ち続けており、2018年2月に首都キエフをほぼ10年ぶりに訪れた。こんなわたしだから、多少なりとも今回の大統領選について解説を加えるのが「義務」であるような気がしている。主な論点は三つある。第一は、ウクライナ保安局(SBU)と同内務省という治安機関の選挙へのかかわりについてである。第二は、ロシアの大統領選への干渉という側面である。第三は今後の見通しである。
SBUの帰趨の重要性
ウクライナが腐敗で蔓延していることは、2014年にロシアに逃れたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領の時代だけでなく、現ポロシェンコ大統領時代も基本的に変わっていない。だからこそ、ポロシェンコ支持が伸びないのだ。ギャラップ調査によれば、ウクライナ政府を信頼している人の割合は9%にすぎず、91%が「極端に腐敗している」とみなしている。
とくに問題なのは、2014年に大統領に就任しながら、ポロシェンコが腐敗問題に十分に取り組んでこなかったことである。その理由は彼の安全保障上の源泉であるSBUとの関係を維持するには、SBUが隠然と影響力を誇示している既存権益にまで踏み込めないからだ。その結果、EUもポロシェンコ政権に対して厳しい目を向けている。ヤヌコヴィッチ時代の裁判官の更迭という約束もいまだに果たされていない現状にいら立っているのである。
これに対して、ティモシェンコ元首相によれば、彼女は内務相であるアルセン・アヴァコフと良好な関係を保っており、SBUと検察当局がポロシェンコ大統領と組んで選挙での勝利をもくろんでいる。いわば、「SBU対内務省」という構図が生まれているのだ。
選挙後、アヴァコフはインタビューに答えて、「虚偽事件の約65%はペトロ・ポロシェンコの本部に関係しており、35%はユーリヤ・ティムチェンコンコに関係していた」と説明した。たしかにアヴァコフはポロシェンコに厳しい姿勢をとっていることがわかる。
こうした構図のなかで、得票率第一位のゼレンスキーは、現在、イスラエルに「逃亡中」のイーゴリ・コロモイスキーというユダヤ人ビジネスマンの支援を受けているとされている。コロモイスキーはいまでも支配しているテレビ局(1+1)が放送した、主人公の歴史教師が反腐敗運動によって大統領になる連続ドラマ、「人民の下僕」において、主人公役を演じたのがまさにゼレンスキーであった。彼は、ドラマのタイトルと同じ名称の政党を創設し、大統領就任と10月27日に予定されている議会選で、政党「人民の下僕」の勝利を画策している。ただし、コロモイスキーの「傀儡」、「操り人形」という批判もある。
ロシアの干渉
ロシア政府はクリミア併合およびドンバス地方の帰属に関連して、ポロシェンコ現政権と対立関係にある。ゆえに、ポロシェンコの再選阻止をねらっていると思われる。興味深いのは、大統領選最中の3月22日、モスクワにボイコ大統領候補が到着し、ドミトリー・メドヴェージェフ首相と会談したことである。会談には、クチマ大統領時代の大統領府長官で政党の党首を務めるヴィクトル・メドヴェドチュークも同席した。結果的に、ボイコの得票率が第四位であったことは、親ロシア派がウクライナにおいて現在もなお一定の支持基盤を形成していることがわかる。
こうした支持層に向けてかどうかは判然としないが、ロシアが今回の大統領選でも暗躍していたことがわかっている。「ニューヨーク・タイムズ」紙が2019年3月29日付電子版で伝えたところでは、フェイスブックは2019年1月に約150のフェイクアカウントを閉鎖した。2018年11月の米中間選挙の間、ロシアのインターネット・レサーチ・エイジェンシー(IRA)によるディスインフォメーション(意図的で不正確な情報)工作を模倣していたと思われるサイトだったからである。なお、IRAは2013年7月ころにロシア政府によって会社組織として認定された組織で、「クレムリンのコック」として知られるエフゲニー・プリゴジンが主導している。さらに、2019年3月26日、フェイスブックはウクライナに関するディスインフォメーション工作にかかわっていた、約2000のロシアとリンクしたページ、グループ、アカウントを閉鎖した。この際、ロシア側はウクライナ国内でフェイスブックのアカウントを売ったり、貸したりしたい人物を選定して、工作活動をしていたとみられている。その成果ははっきりしないが、ロシアによるディスインフォメーション工作がウクライナ大統領選でも行われていたのは間違いないだろう。
ゼレンスキー大統領誕生か
単純に考えれば、4月21日の第二回大統領選でゼレンスキーが選出される可能性が高い。ティモシェンコとボイコはゼレンスキー支持に回ると思われるからである。西部のリヴィウ(リヴォフ)州ではポロシェンコが第一位の得票率であったが、それ以外のほとんど州ではゼレンスキーがトップであったことを考慮すると、ポロシェンコが巻き返すのは容易ではなさそうだ。もちろん、ゼレンスキーが昔、人身事故を起こしたといった真偽のわからない情報が流れたように、今後、ゼレンスキーをめぐるディスインフォメーションによって彼の支持が急速に衰える可能性もないわけでもない。
それでも、すでに比較的しっかりした取り巻きとして、元経済相のアイヴァラス・アブロマシッチ、元財務相のオレクサンドル・ダニリューク、元腐敗防止庁メンバーのルスラン・リャボシャプカといった人々の名前があがっている。つまり、ゼレンスキーのほうがポロシェンコよりも反腐敗政策に踏み込む可能性があるのは間違いない。
ただし、SBUのウクライナ支配は浸透しているから、反腐敗運動がどこまで実現するかはまったく不透明だ。10月議会選の結果をみなければ、今後のウクライナ情勢を占うことは難しいだろう。おそらくウラジーミル・プーチンロシア大統領はゼレンスキー大統領誕生を許容するだろうが、10月の議会選でゼレンスキーの政党「人民の下僕」の勝利を望むかどうかは不透明だ。ウクライナ国内の混乱の継続がロシアの政局にとって有利であるとみなせば、「ゼレンスキー潰し」に乗り出すだろう。
いずれにしても、日本のあまり鋭いとは言えない解説よりは、ここで記した解説のほうがずっと役に立ったのではないかと期待している。
最後に、2018年2月にキエフを訪問した際、もっとも驚いたのはロシア語がごく普通に使われている街の雰囲気だった。おそらくそれはいまも変わらないだろう。ウクライナ語を話すことを強いようとする連中は西ウクライナに多い。しかし、首都キエフではそんな雰囲気はまったく感じなかった。その意味で、もはやポロシェンコを熱烈に支持する人々はリヴィウ(リヴォフ)州くらいにしかいないのかもしれない。安直に、「親米のポロシェンコ」と書く日本の報道はウクライナの多くの人々の感情とかけ離れているように思えてならない。
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