ユルゲン・ハーバーマスを悼む

ユルゲン・ハーバーマスが3月14日、ミュンヘンの南西にあるドイツのシュタルンベルクで死去した。享年96。April foolの冗談として、「ハーバーマスが死んだ」というニュースを耳にしたのはもう10年以上前だろうか。

 

未刊のプロジェクト

NYTによると、ハーバーマスは、真実と理性に対するポストモダニズムのシニシズムという当時の主流の傾向に逆らい、啓蒙主義の理想と、個人および社会の自由の可能性を断固として擁護した。

彼は1960年代初頭に「公共圏」という概念を提唱したことでもっともよく知られている。彼は、国家の支配の外側に位置し、審議や意見交換が自由にできる空間が存在してこそ、民主主義は生まれ、健全な形で存続し得ると理論化した。

著名な批判社会理論のフランクフルト学派の弟子であり、後にその指導者となったハーバーマスだが、「テオドール・アドルノやマックス・ホルクハイマーといった師たちよりも近代化の約束を強く信じていた」、とNYTは書いている。彼は啓蒙主義を「未完のプロジェクト」とみなし、コミュニケーションの改善に焦点を当てることでそれを是正できると考えていた。この延長線上に、哲学者リチャード・ローティがマルクス主義の立場ではなく、新プラグマティズムの立場からアメリカ左翼の物語を再構成する試みである「アメリカ未刊のプロジェクト」がある。

NYTは、さらに、つぎのようにのべている。

1970年代から、彼は「理想的な言説状況」について論じた。それは、人々が対等な立場で集い、理性的な対話の過程を通じて真実に到達する状況である。この考えは、彼の主要著作『コミュニケーション行為の理論』(1981年)でさらに展開された。会話を通じたこうした合意形成――彼が頻繁に用いた表現によれば、アイデアを「容赦ない公的言説の酸の浴」にさらすこと――によって、市民は「自らの社会的運命に対して集団的な影響力を行使できる」と彼は記した。

 

コミュニケーションに基づく民主主義社会の再生

第二次世界大戦の死と破壊が、多くの思想家にとって理性や、それが公益をもたらす力に対する不信感を抱かせるものとなったとしても、ハーバーマスは、理性的なコミュニケーションを民主主義社会を再生させる機会とみなしていた。「私は常に、日常のコミュニケーション生活、つまり日常の会話の中に、理由を述べようとする一種の衝動、多かれ少なかれ合理的であろうとする姿勢、『なぜそう言ったのか?なぜそうしたのか?』という問いに対する答えを出そうとする姿勢が存在すると確信していた」と、彼は2005年のインタビューで語った。「そして、それが私たちの日常言語に組み込まれている理性というものの問題を、もう少し深く追求しようという動機となったのだ」、とNYTは指摘している。

晩年のハーバーマスは、欧州連合(EU)プロジェクトの行方を特に憂慮しており、その懸念は2008年に出版された著書『ああ、ヨーロッパ』のタイトルにも表れていた。

彼は、グローバル資本主義とナショナリズムの両方がもたらす破壊力に対する最良の対抗軸は、EUが体現すべきであったような統合された民主的な国家連合であると信じていた。そして、市場や社会的勢力によってこの理念が侵食されていると見て、悲しんでいた。2010年代初頭の数多くの見出しで、彼は「最後のヨーロッパ人」と呼ばれた。

ハーバーマスはまた、公共圏における宗教の位置づけにも注目した。欧州におけるイスラム教徒への敵意に一部促され、彼は数冊の著書で、自身が「ポスト世俗的」社会と呼ぶものについて論じた。そこでは、啓蒙主義の無神論的伝統と現代の宗教、そして内省的な信仰と民主主義の制度との調和を図ろうとしたのである。

これは、できるだけ多くの市民が社会の現状について共に議論することを構想した、生涯にわたる理想の一部であった。2010年に『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿した論説で、彼は欧州政治におけるナショナリズム的傾向の再燃を嘆き、次のように記している。

「民主主義は、困難な未来を共に形作る余地がまだ残されているという人々の信念にかかっている。」

 

現実の厳しさ

リベラルデモクラシーを信じていたころの私にとって、ハーバーマスの議論は理解し共感し基礎とすべき理論であったような気がする。私の印象では、彼の民主主義への信頼の強さは、逆に、現実の民主主義への懐疑・批判として現出していたように思われる。

近著『ネオ・トランプ革命の深層』では、つぎのように書いておいた(298頁)。

 

ハーバーマスの怒りを思い出せ

読者に気づいてほしいのは、そもそも現存する民主主義がきわめていい加減なものにすぎないという現実だ。ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスは、2011年に急遽刊行した『欧州の憲法について』のなかで、欧州の民主主義の本質が市場の危機や狂騒という圧力のもとで変貌してしまったことを批判している。ハーバーマスの危惧は、市場に参加する一部の投資家や金融専門家だけが解決方法を決め、それを事後的に認める手続きが民主主義を愚弄しているという点にあった。」

 

『官僚の世界史』

拙著『官僚の世界史』では、ハーバーマスの提示した公共性の問題や、政治哲学について書いたことがある。

「ここで紹介したハーバーマスの主張は、「公共性」を意味する言語そのものの変化としても裏づけることができる(小出1996)。ラテン語の形容詞“publicus”は、古代ローマにあっては、統治権力の担い手および統治権の範囲としての“populus”に由来するが、“privatus”(家長に属する、私的な)の反意語であった。その後、中世においてその語彙は多様化する。それでも、「国家的」という意味はもたなかった。しかし、16世紀以降、“publicus”はドイツ語の“staatlich”(国家的)という意味を獲得する。ボダンはその主権論において、すべての法律に優先する主権をもつものとして国王を位置づけ、国内の敵が起こす戦争は“bellum publicum”(公的戦争)ではないとした。つまり、公的戦争は主権者間のみの戦争に限定されることになった。こうして、“publicus”は「国家的」という意味をもつようになる。17世紀になると、“publicus”を伴う行政用語が多数現われ、「新しい国家的秩序」を表現するようになる。17世紀末には、“publicus”を伴うラテン語の表現する同義語としてドイツ語では“öffentlich”を伴う合成語が増加し、“publicus”=“öffentlich”=“staatlich”(国家的)となった。

他方、ラテン語の“publicum”はラテン語の形容詞“publicus”の中世名詞形である。“publicum”がギリシア語のcives(市民)、ドイツ語のStaatsbürger(公民)の意味を獲得するのは17世紀だ。中世では、“publicum”は、税金、裁判所、国家などのように、総じて「国家のもの」と同意語であったが、17世紀になって、公開コンサート、公共新聞、公共図書館などが広がると、こうした公共の場に集まる人々(公衆)を“publicum”が意味するようになる。

ドイツにおいて、“publik”=“öffentlich”=“staatlich”(国家的)となったことは、イギリスにおいて、“public”=“official”=“state”となったことに対応している。こうして英語の“public servant”が「公僕」としての公務員をイメージするになる。19世紀になって、“servants of the state”=“official”として用いられるようになった(Jacoby, 1969=1973, p. 31)。だが、イギリスの場合、“civil service”という言葉で軍人および司法官を除く国家の職務に雇用されている政府職員をさすことが一般的だ。この言葉は、イギリス支配下のインド行政で初めて使用され、その後、イギリス内で公開競争試験が導入される過程で広まったとされる(鵜養2009, p. 160)。米国でも、“civil service”が公務員を表す言葉として使用されているが、行政、立法、司法におけるすべての任命による官職(軍人を除く)とされている。」

 

ハーバーマスのいう三つの政治思想

 いずれにしても、主権をもつようになった者は、政治の領域において神としてふるまうことが可能になる。だが、民主代表制をとる代理制のもとでは、統治自体を主権者自身が行うわけではない。主権者の負託を受けた代理人が法を制定し、その法律を官僚が執行する。この統治によって国家主権を守ろうとするのである。それは、株主が取締役に会社経営の全権を委任して、会社を守り発展させ、株主の利益に沿うことを求めるのと同じ構図である。ここで、神から授けられた恵みを管理する人(スチュワード)のことを想い出してもらいたい。国家主権のもとでは、神そのものの存在観が大幅に後退し、人工の神のようにふるまうようになった国家から委任されたものを、人間が責任をもって管理し、適時に差し戻すという必要が生まれる。こうした管理者、スチュワードの役割を担う人物が想定されるようになる。このとき、「法の上に人をおく」ホッブズ的立場と、「人の上に法をおく」ルソー的立場では、スチュワードの想定が異なる。別言すれば、同じ仲介者であっても、前者は現実に機動的、臨機応変に対応するスチュワードとなり、後者は法改正や法制定までに時間を要する、現実と乖離したスチュワードにつながる。この違いは、企業統治の違いとしても顕現する。つまり、この時期の大きな変化こそ、近代以降の腐敗問題の出発点なのである。

ハーバーマスの整理を借用すれば、英国のリベラル思想では、法治国家における人権の制度化に重点を置いている(Habermas, 2008=2010, p. 183)。そして、それは市民の私的自律という、民主主義的規範を支える一つの要素を重視する立場と言える。ホッブズ自身は、ニーチェ的に「欲するままにかれ自身の力を用いる」ことを自由といった(土橋p. 30)。これに対して、ルソーの共和主義思想では、「国民主権」の原則が重視され、政府権力が法に服するだけでは不十分であるとみなす。自由で平等な市民が政治的共同体に同じように包摂されているという、国家公民権(民主主義の規範を支えるもう一つの要素)が重視されていることになる。だが、「国民主権」という美名の実体は、公人として、各人は代表者を選ぶ参政権だけをもつということだけであることを忘れてはならない。

ついでに指摘しておくと、もう一つの政治思想として、熟議的な公共の世論の場での意見表明の自由に基づく思想がある。カントに影響されたこの思想はハーバーマスが重視するものだ。それは、民主主義の規範を支える、三つ目の要素である、独立した政治的公共圏に関連している。

この三つの政治思想はつぎのように区別される(Habermas, 2008=2010, pp. 188-189)。リベラルな民主主義の考え方は、法治国家の理念から出発して、競争社会における市民相互の自由をどのように制度化するかという問題に焦点を絞っている。ゆえに、民主主義の経済理論は、政治の動きをみるにあたって、合理的選択決定の観点を重視する。政治的には、市民たちの自覚された個別利害に依拠した政党間の競争を重視するのだ。これにより、スチュワードは、特定の市民グループごとの個別利害を代表する管理者として側面が強くなり、政権を握った政党の政治家が国家行政を主導する傾向が生まれる。先に指摘した、スチュワードと受益者との関係において、互酬性は維持できても、第三者とスチュワードの間、あるいは、受益者と第三者との間においては互酬性が維持できなくなるという問題については、民主主義の原則にたって、第三者の損失を軽視する傾向が強まる。

一方、共和主義の考え方では、国民主権を中心に据え、市民の自己決定の実践と彼らの国家公民としてのエートスとの間に経験的な関連を作り上げる。特殊意志ではない、一般意志を具体化する、集合的な単一の人格としての公民が構成員として想定され、それが自発的に参加する結社(アソシエーション)としての政治体が国家主権であり、その主権に具体的に参画するのは市民ということになる。ここでの社会契約は、主権者たる国家に統治権を譲渡する、垂直的な「統治契約」ではなく、「公民が公民となる」ための水平的な「社会契約」であり、市民は公民となることが前提とされている。政府の行政執行権は公民から授けられたものにすぎず、主人たる公民が決めた立法に従って法執行しなければならないことになる。共和主義モデルでは、国家公民の参画という側面に視点を集中しすぎている。それによって、現代の諸システムがもつ高度の複雑性に適わなくなっている。ここに、スチュワード概念を持ち込むとすれば、スチュワードの座には公民から選任された政治家が就くことになる。行政執行権に対する立法権の優位は明らかだが、一般意志、それを具体化する公民を統制するものが不明確で、国民の私的な生活圏が公的人格としての政治体ないし公民という結社に包摂され、全体主義につながりかねない危うさがあると言われている。スチュワードが独裁者になりかねないのだ。ここに至って、スチュワードと受益者との互酬性はおろか、第三者との関係においても、互酬原理はまったく働かなくなってしまう。

他方、合理的選択を重視するリベラルモデルでは、政治的行動をみるに際して、基本的な規範的側面がみえにくくなってしまう、これに対して、熟議モデルは、合理的選択や政治的エートスもみるにはみるが、それ以上に強く、意見形成・意思形成という認識上の機能に重点をおいてみる。この点で、市民たちの選好を競争民主主義に束ねあわせる行き方や、それぞれのネーションの集団としての自己決定を求める代わりに、問題解決にむかっての協調的探求が重要となる。」

 

どうだろうか。いろいろと学ばせてもらった。しかし、現実そのものはハーバーマスの考えうほど「やわなもの」ではなかった。

いずれにしても、ハーバーマスの死を悼む。

 

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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