閑話休題7 2017年のノーベル平和賞をめぐって想うこと

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)にノーベル平和賞が授与されることになった。9月27日、オスロのノーベル平和センターを訪れたわたしにとって、ブログに書かざるをえない想いがある。

 

ICANの受賞理由は核兵器禁止条約締結への貢献だ。しかし、その理念に同意するにしても、核兵器廃絶への現実的アプローチという点では疑念をいだかざるをえない。

 

拙著『核なき世界論』

わたしには『核なき世界論』という書物がある。2010年に東洋書店から刊行したものだ。ロシア地域の経済政策を中心に研究活動に従事してきたわたしがなぜこんな本を書いたのか。直接のきっかけは、東洋書店の編集者から依頼を受けて書いただけの話で、わたしが積極的にこの本を執筆しようと思ったわけではない。ただ、資源問題の研究の一環として、ウラン鉱石の採掘や加工、さらに核発電所の問題などについて多少なりとも知っていたから、「核なき世界」実現のためにどうすればよいかを率直に語ることにしたのである。

 

その結果、まったく見ず知らずの長崎大学の戸田清(平和学)が図書新聞(2010年第2983号)で、「核問題の入門書としても良書と言えるだろう」と評してくれた。わたしとしては、この本をなみなみならぬ思い入れを込めて書き上げたので、うれしい書評であった。その思い入れとはなにか。

 

それは、わたしの人生のなかでの最大の痛恨事にかかわっている。わたしは、大学4年生の最後に、1981年2月から3月末まで、40日間ほどかけて世界一周旅行をした。当時のソ連からポーランド、ハンガリー、ルーマニア、英国、米国、日本の順に巡り歩いたのだ。その際、共産主義の圧政に苦しむ人々目の当たりにして、この人たちに生涯をかけて関心をもちつづけようという決意を固めた。すでに、大学でも第三外国語としてロシア語をずっと勉強していたし、社会主義経済論のゼミ生でもあったから、この決意は大学時代から一貫していたのかもしれない。

 

こんなわたしにとって、猛省すべきこととして心から離れていないのは、ソ連崩壊を事前に予測し、それに対する対応策を考えたこともなかったという事実である。もちろん、ソ連崩壊を事前に予測し、そうした事態への対応策を積極的に理論的かつ制度論的に展開した人物は世界中にいない。

 

その結果、ソ連崩壊後、その後継国であるロシアは大混乱に陥り、多くの人命が失われた。生活苦から自殺者が急増したのである。あるいは、アルコールにおぼれ、路上で凍死した者も多くいた。場当たり的に政治的なIMFの助言で、ロシア経済が壊滅的な打撃を受けた。その混乱を通じてロシアの人命が奪われたのである。わたしはIMFのような国際機関が「殺人鬼」の面をもつことを肝に銘じた。IMFや世界銀行は経済関連の国際機関であると考えている人が大多数かもしれない。しかし、これらの機関は、政治的な側面を色濃くもち、間接的にではあるが、殺人鬼となりうることを忘れてはならない。

 

余談ながら、世界銀行は国家による不妊手術の実施という人口抑制を融資条件にしていた事実がある。1968年から1981年まで世界銀行総裁を務めたロバート・マクナマラ元米国防長官は人権を無視したかたちで「上からのデザイン」を押しつける全体主義を、世界銀行を使って文字通り世界規模で行ったのである。地球温暖化が人為によると考えるのであれば、再び「バース・コントロール」を世界的規模で行えということになりかねない。実際に、バース・コントロールを長年つづけてきた中国でさえ、その政策を緩和したにもかかわらず、今後、世界は「上から」のバース・コントロールの時代を迎えるのだろうか。

 

『核なき世界論』の本質

ソ連崩壊後の大混乱の教訓として、わたしはどんな事態に対しても事前に備えることの重要性を深く心に刻むようになる。それゆえに、『核なき世界論』を書いたのだ。わかりやすくいえば、今後、核兵器の使用がないことを前提にして「核なき世界」を構想するのではなく、偶発的な出来事を含めて核兵器の使用が残念ながら起きうることを前提に、その機会に乗じてこそ「核なき世界」実現に踏み出せると論じたのである。

 

ただし、そのためには「インターネット民主主義」に代表されるような、有権者の要望や投票行動が直接的に政治に反映しやすい「基盤」を整備しなければならない。世界中の人々が核兵器の悲惨さをその目に焼きつけたときこそ、核兵器廃絶へ大多数の一般大衆の声を結集し、民主主義の大衆迎合という欠陥を逆手にとって核廃絶のための立法化へと踏み出せるのではないかと考えたのである。そのためには、事前にさまざま準備を進め、綿密なロードマップを作成しなければならないことになる。

 

わたしにとって残念だったのは、この論理が核発電所の廃棄にも応用できることについて拙著『核なき世界論』でふれなかったことだ。本当は、この本が出た段階で、核発電所の事故を想定し、その事故を契機にすべての核発電所廃絶を実現させるためのロードマップについて具体的かつ詳細に準備すべきであったのだ。そうすれば、東京電力福島核発電所の事故を教訓に、一挙に核発電所廃絶に舵を切ることも可能であったはずだ。

 

ところが実際には、ソ連崩壊を事前予測していなかったのと同じように、核発電所の壊滅的な事故を予測していなかったために、その後の対応が場当たり的でお粗末なものになってしまった。時間の経過とともに、核発電所の事故そのものが風化し、核発電所の廃絶議論はいつの間にか過去のものとなっている。わたしの『核なき世界論』は2010年に書かれたものだから、2011年3月11日の東日本大震災およびそれによって引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故に間に合ったのである。本当に残念なことをしたと反省をしている。

 

つぎなる一手

だが、「21世紀龍馬」にあこがれる者の一人として、わたしはあきらめなかったし、いまでもあきらめてはいない。そこで、わたしは2016年になって『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』をポプラ社から上梓した。この本もロシア研究とは程遠い。だが、わたしはどうしてもこの本を書く必要があったのだ。なぜなら、今後、核発電所の事故や核兵器使用が起きたとき、民主主義の欠陥を逆手にとって「核発電所なき世界」や「核なき世界」を実現させるためには、情報技術を活用した「インターネット民主主義」の実現のための基盤を整備しておくことがぜひとも必要だからである。

 

ゆえに、拙著『民意と政治の断絶はなぜ起きた』では、電子請願のような有権者の意見を直接、政策決定に反映できるようなシステム構築を主張したのである。同時に、民主主義の弊害となっている官僚支配を弱めるために、世界中に広がっている「ロビイスト」規制の導入を提案し、行政や立法の過程の透明化をはかる必要性を説いたのである。ちなみに、ロビイスト規制を導入していれば、文部科学省のOBが後輩の役人を訪ねて圧力をかけるといった事態も防げただろう。

 

ともかく少なくとも、わたしはわたしなりに「21世紀龍馬」にあこがれつつ、微力ながらも努力を継続してきたわけである。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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