「プーチン3.0」を占う

「プーチン3.0」を占う

2012年1月、拙著『プーチン2.0:岐路に立つ権力と腐敗』(社会評論社)が刊行された。これは、2000年に初めて大統領に就任したウラジーミル・プーチンが「連続2期を超えてはならない」という憲法の規定を遵守して1期だけドミトリー・メドヴェージェフに大統領の座を譲り、その後再び大統領に返り咲くに際して書かれたものである。いわば、2000~2008年の2期務めた期間が「プーチン1.0」の段階であり、2012~2024年(2期分だが、任期が4年から6年に)の新しい段階を「プーチン2.0」とし、プーチン1.0からプーチン2.0への「バージョンアップ」を展望している。そして2020年1月、プーチンは突如、憲法改正を提案し、2024年以降の自身を含めたロシアの新しい政治形態を模索するに至った。そこで、2024年以降のプーチン体制を「プーチン3.0」とみなし、新体制について展望することにしたい。

なお、ここでの論考を踏まえた考察が「論座」のサイトに2回にわけてアップロードされているので、そちらも参考にしてほしい。「「プーチン3.0」を展望する」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020012800003.html)と「『ロシア的人間』からみた「プーチン3.0」の本質」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020021300001.html)である。

 

「ケノーシス」という本質

ロシア人は「服従」(隷従)によって「救済」されるという「ケノーシス」という観念に深く影響されている。正教(Orthodoxy)では、父なる神と子なるキリストと聖霊が神をなす。神と人間を繋ぐ媒体で、聖霊によってイエスは処女マリアの身中に宿ったとされている聖霊は「父」から生じるとされている。三位のうち、父、子、聖霊の位階が明確なのだが、ロシア人は人間のかたちをしたキリストに親近感をもつ。人間キリストへの尋常ではない服従は、皇帝や絶対的指導者たるスターリン(ヨシフ・ジュガシヴィリ)への隷従精神に通じるものがある。これこそ、ロシア的人間のもつケノーシス気質と言えるだろう。

このとき注目されるのは、ケノーシスの意味する救済が贖罪や悔い改めを媒介せずに可能だということだ(宗近真一郎著『ボエティカ/エコノミカ』)。そう考えると、神からやってくるはずの救済が人間によって簒奪される可能性があることになる。それは、神への服従ではなく、レーニンやスターリンに隷属することで救済につながる可能性を排除しないことにもなる。これが意味するのは、ロシア人独特の「服従」をテコに地上に踏みとどまろうとする生き方なのである。

ここで、ロシア革命を神とは縁遠い「ロシア無頼」が成し遂げたことを思い出そう。職業革命家であったり、銀行強盗であったりしたロシア無頼でありながら、ロシア革命の成功で彼らがケノーシスというロシア的人間のもつ独特の精神によって「神」の位置にまで到達してしまったことが、その後のロシアにも影響をおよぼしつづけていると考えられる。これは決して大袈裟な話ではない。1924年1月のレーニン死亡の前に、スターリンはレーニン崇拝のため、その亡骸を不朽体として保存することを党中央委員会の決定として決める。「不朽のマルクス主義者たちの神をつくり出したのである」と言えるだろう(エドワード・ラジンスキー著『赤いツァーリ:スターリン、封印された生涯 上』)。この思想を支えたのは、共産党を教会と同じようにみなす視線である。さらに、スターリンも「神」の地位に到達した。1953年3月に死んだスターリンは1961年までの8年間、人形のようなレーニンと並んで、レーニン廟に安置されていた。おそらくプーチンもまた同じ運命にある。

 

合法的暴力装置が支える

このケノーシス気質を陰で支えているのは、合法的な「暴力装置」(マックス・ウェーバー)にほかならない。ソ連時代には、「チェーカー」(ChK)と呼ばれる秘密警察組織がそれであった。1917年12月、人民コミッサールソヴィエトが反ボリシェヴィキのストライキやサボタージュに対抗するために「反革命・サボタージュとの闘争に関する人民コミッサールソヴィエト付属全ロシア非常委員会」(その後何度も名称変更するのだが、「チェーカー」と総称された)が創設されたのである。ここで、政治学者ハンナ・アーレントのつぎの指摘を知れば、その意味合いがよくわかるだろう。

「国家権力と党機構がそのなかで合体するように見え、そしてまさにそれが故に全体主義支配機構の権力中枢として正体をあらわす唯一の機関は、秘密警察である」というのがそれである(『全体主義の起源 3』)。

ChKはその後、国家政治総局(GPU, 1922年)、統一国家政治総局(OGPU, 1923年)、内務人民委員部(NKVD, 1934年)、国家保安人民委員部(NKGB, 1941年)、国家保安省(MGB, 1943年)、国家保安委員会(KGB, 1954年)のように変化する。「革命の懲罰の剣」の役割を担って誕生した機関だが、やがてスターリンという独裁者の権力基盤となる。こうした遺伝子を継承しているのがいまのFSB(連邦保安局)だ。いわば、監視と暴力による恐怖によってスターリンやプーチンを崇めるのだ。

もちろん、その恐怖政治の程度は時代によって異なる。しかし、その原理は基本的にいまでも変わっていない。現在、暴力装置として重要な役割を果たしているのは、FSB以外に連邦警護局(FSO)、連邦対外諜報局(SVR)、国家警備隊局、軍を管轄する国防省、警察を所管する内務省、検察庁、予審委員会などである。

 

プーチン1.0下でのChK内紛

プーチン1.0において、ChKにとって重大な事件として名高いトゥリ・キタ事件が起きる。FSBの中国からの密輸に絡む事件をきっかけに、内務省、検察庁などが激しく対立し、それが当時検事総長だったウラジーミル・ウスチノフを司法長官、司法長官だったユーリー・チャイカを検事総長にするという異例の人事に発展する。このChK内部の抗争で、検察庁への過度の権限集中が反省され、同庁内にあった予審総局や軍検事総局を統合した検察庁付属予審委員会が設置されるに至る。それがメドヴェージェフ大統領当時の2010年に独立した機関としてロシア連邦予審委員会を設置することが決まった。そのトップには、アレクサンドル・バストゥルィキンが就く。

こうしたChKの内紛の背後には、FSBや検察庁のような一つの暴力装置の肥大化を恐れるプーチンが相互監視を仕組んだ事実がある。結局、検事総長の権力を弱体化させることで、プーチン2.0の段階では内部抗争は表面化しなくなった。FSBの権力は温存される一方、プーチン自身の警護を担ってきたFSO幹部の重用がプーチン2.0時代の特徴となった。たとえば2016~2018年までに4人ものFSO出身者が知事に任命されている(ただし、2人は1年以内に辞任)。

 

プーチン3.0に備える動き

プーチンがプーチン3.0の段階においてもなお権力の維持をはかろうとするのであれば、それなりのChKのバックアップが不可欠だ。ここで、1922年に共産党書記長という新設ポストに推挙され、このポストを利用して地歩を固めたスターリンのことを思い出しそう。党大会の実務的な運営を担うための「技術的ポスト」にすぎなかった書記長ポストを絶大な権力にまで強大化させたスターリンの先例に学べば、プーチンは大統領ポストに連綿とする必要もないことがわかるだろう。ゆえに、彼は憲法改正によりそのための準備に入った。憲法上の機関としての「国家評議会」(ゴスソヴィエト)の創設である(第83条に追記)。

憲法改正のためにプーチンによって提出された法案は、プーチン3.0における政治形態のあり方を示唆する内容になっている。第一に、プーチンは2024年以降の大統領職には就くつもりはない。おそらくプーチンはゴスソヴィエトのトップに就き、大統領とは違う立場から事実上、スターリンと同じようにロシア全体を統治しつづける体制を構築しようとしているのだ。ゴスソヴィエトは、国家機関の機能・相互関係の保障、内政・外交の基本方向の決定および国家の社会経済発展の優先的方向づけのために大統領が創設するものとされている。ただし、その詳細は個別の連邦法で規定されるとしか憲法案には書かれていない。つまり、ゴスソヴィエトの議長にそのときの大統領が就くのか、それともプーチンのような人物が選任されるのかが不明確なのだ。だからこそ、プーチンがこのゴスソヴィエトのトップに就任するのではないかとの憶測が強まっているのである。

なお、ゴスソヴィエトという名前のついた機関は過去にも存在した。ロシア帝国時代には、皇帝ツァーリの最高輔弼機関としてゴスソヴィエトが置かれていた。ソ連末期の1991年7月、ソ連を構成するロシア共和国大統領のもとにゴスソヴィエトが創設された。エリツィン大統領の指導のもとに、大臣、国家委員会議長、国家書記らで構成されたものだ。他方で、ゴルバチョフソ連大統領やソ連構成共和国指導者からなるソ連ゴスソヴィエトが1991年9月に設置される。いずれにしても1993年に制定されたロシア連邦憲法には、ゴスソヴィエトに関する記述はない。2000年9月1日付大統領令「ロシア連邦ゴスソヴィエトについて」が突然、発出される。プーチンは同年5月に大統領に就任していたから、どうやらプーチンはこのゴスソヴィエトに特別の思い入れがあったようだ。同大統領令によって、ゴスソヴィエトの設置とゴスソヴィエト規定が承認された。同規定では、ゴスソヴィエトは国家権力機関の機能や相互作用を保障する諸問題について国家のトップの全権実現を支援する協議機関と位置づけられていた。同年11月22日、初のゴスソヴィエトが開催され、「2010年までの国家発展戦略」が話し合われた。しかし、その後この存在は忘れ去られていたのである。

第二に、2024年以降に大統領となる人物が巨大な権力を保持しつづけると、ゴスソヴィエトを通じた支配が難しくなるので、憲法改正による大統領権限の縮小と反作用としての議会の権限強化がはかられている。大統領が権力を長く保持することによる弊害をなくすため、第81条にある大統領は「連続2期を超えてはならない」との規定の「連続」を削除し、最長2期しかできないことを明確にする。2024年の大統領選は新憲法下で初めて実施されるので、プーチンは大統領になる資格があるとの見方もあるが、こうした事態は起こらないだろう。彼自身も新憲法を機にこれまでの大統領任期を「ゼロ化」して、新憲法下初の大統領として最大もう2期できるようになるとは考えていない。

首相任命に際しても新大統領の権限は弱められる。首相については、現行憲法では、大統領が下院の合意のもとに首相を任命することになっているが、憲法改正案では、大統領の提示に基づいて下院の承認した候補者を任命したり解任したりできる。さらに、現行憲法では、大統領は首相の提案に従って政府の副首相、大臣を任命したり解任したりできるが、改正憲法では、下院によって承認された副首相および大臣(ChK関連の権力執行機関の指導者を除く)を任命・解任することになっている(同指導者は上院諮問後任命・解任する)。つまり、大統領は下院によって承認された候補者の任命を拒否できない。候補者リストは首相が提出するから、首相の権限が強まり、それを承認する権限を得た下院も重要さを増す。逆に、大統領の権限は相対的に縮小する。連邦評議会(上院)も憲法裁判所や最高裁判所の判事の罷免権限をもつことでその権力が強められる。

 

注目すべきメドヴェージェフ首相とチャイカ検事総長の更迭

プーチンは1月15日に一般教書演説のなかで憲法改正を明らかにした直後、メドヴェージェフ首相の更迭と後任人事を決める。新首相には、税収増加に貢献した連邦税務局長官だったミハイル・ミシュスチンが就任した。メドヴェージェフは安全保障ソヴィエト副議長のポストに移った。20日には、プーチンはユーリー・チャイカ検事総長の更迭とイーゴリ・クラスノフ連邦予審委副議長を後任とする人事を明らかにする。チャイカは22日付の大統領令で、「あがりポスト」である北カフカス大統領全権代表に就く。

メドヴェージェフとチャイカの人事で注目されるのは、第一に、二人が腐敗しており、それがYouTubeを通じて全国民規模で知られていたことである。メドヴェージェフの腐敗については、反政府活動家のアレクセイ・ナヴァーリヌイが2017年3月2日にアップロード以来、3300万人以上が宮殿のような住居を政商のアリシェル・ウスマノフから譲り受けるなどの不正を知るところとなった(https://www.youtube.com/watch?v=qrwlk7_GF9g)。チャイカについては、2015年12月1日にアップロードされた動画を1000万人以上が視聴し、彼の息子二人(アルチェムとイーゴリ)が構造的な汚職組織を形成してきたことを知っている(https://www.youtube.com/watch?v=eXYQbgvzxdM)。ゆえに、この二人の更迭は反腐敗政策の強化に向けた綱紀粛正の意味合いをもつ。プーチン周辺の人物への過度の腐敗への警告という狙いもある。

第二の注目点は、チャイカの後任に検察庁から分かれた予審委の副議長が抜擢されたことである。ChK関連機関のなかで検事総長はFSB長官に匹敵するほど重要なポストであり、そこに44歳のクラスノフが任命されたのはなぜか。反政府的な立場に立つ「ノーヴァヤガゼータ」などによると、2018年7月に中央アフリカ共和国でロシア人ジャーナリスト3人が殺害された事件を担当したクラスノフは「泥棒」に罪をなすりつけて事件の真相に蓋をしたことが最終的に評価されたようだ。彼らはプーチンの宿敵で亡命中のミハイル・ハダルコフスキーの設立した調査管理センターの依頼を受けて、ロシアの民間軍事会社、ワーグナー・グループの戦闘員が同国で活動している実態を調査していた。ワーグナー・グループは「クレムリンのコック」で名高いエフゲニー・プリゴジンの経営する会社で、ウクライナのドンバス地域でもシリアにおいても、ロシア軍に代わって戦闘行為に従事することで、プーチンの「血塗られた外交」を陰で支えている。その会社の実態隠しに協力したことで、クラスノフはプーチンに高く評価されるようになったとみられている。

しかも、クラスノフは予審委の副議長の要職にあったから、今後、再び予審委と検察庁を統合するかもしれない。強力な監視体制が構築され、スターリン時代の強制政治に近づく可能性すらある。

 

新内閣の顔ぶれ

ミシュスチン首相のもとでの内閣の顔ぶれをみると、第一副首相にアンドレイ・ベロウソフが就任したのが目立つ。同ポストにあったアントン・シルアノフは副首相に降格した。ベロウソフが務めていた経済問題担当の大統領補佐官には、マキシム・アレシュキンが就き、その後任にはマキシム・レシェロニコフが就任した。レシェトニコフはペルミ地方知事からモスクワに呼び戻された。10人いた副首相(第一副首相を含む)は9人となり、うち6人が新顔だ。21人の大臣中8人が新たに入閣したが、労働・社会保障相、保健相などの社会保障関連分野の大臣を入れ替え、その他の部門にも「専門家」を配したという特徴がある。ミシュスチン自身は付加価値税の不正還付を防止するための自動制御システムを2013年に導入し、その後同システムをバージョンアップして税収増加につなげた実績がある。

プーチン自身は外交や軍事、さらにChK関連機関を通じた国家全体の統治に高い関心をもっており、ゴスコヴェートの支配を通じて国家全体を事実上、自分が統治する一方、経済政策や社会保障などの行政サービスについては首相を中心とする専門家集団に委任する体制をめざそうとしているのではないか。そのための第一歩として、首相を含む専門家集団による内閣がつくられたように思われる。政治家、メドヴェージェフは与党「統一ロシア」の党首の座にある。今後、メドヴェージェフの処遇がどうなるかはまだ判然としないが、今後、プーチンの党首復帰というシナリオをありうる。あるいは別の政党への脱皮を模索するのかもしれない。

カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフは2019年3月に大統領を辞し、憲法の規定に従って後任に上院議長だったカシム=ジョマルト・トカエフに同ポストを譲った。この際、ナザルバエフは「暴力装置」にかかわる権限を安全保障評議会に移譲し、同評議会を生涯主導する権限を得た。同時に、「ヌル・オタン」(輝ける祖国)という政党の代表の座にとどまった。だからこそ、プーチンは統一ロシアをどう支配下に置きつづけるのかという懸案をかかえている。

 

本当の課題

あまり注目されていないが、司法長官に就任したコンスタンチン・チュイチェンコは司法改革を担う。彼はメドヴェージェフの盟友であり、おそらく司法改革の重責はこの二人のラインで具体化されるものと思われる。といっても、憲法改正案に含まれている、人権保護国際機関からの乖離、判事の免職に関する提案を連邦ソヴィエトに提出する権利の大統領への分与、法案の憲法裁判所による点検などの新機軸は最終的に裁判所の独立性さえ葬りかねない。ゆえに、二人が行うのは「司法改悪」ということになる。

前任の司法長官はアレクサンドル・コノヴァロフで、彼もまた「メドヴェージェフのチーム」の一員だった。ただし、家庭内暴力のために死亡した女性の家族がコノヴァロフの次官、マクシム・ガリペリンの適正を取り調べるよう求めたのに対して、コノヴァロフはこれを無視した。このため、彼に対する批判が高まっていた。だからこそ、コノヴァロフは更迭されたことになる。これに対して、チュイチェンコはKGB勤めを経験したこともある人物で、2018年5月から、副首相兼官房長官を務めていた。

チュイチェンコとメドヴェージェフはレニングラード大学のクラスメートでもあり、この二人が司法制度を改悪し、より弾圧的な体制づくりに邁進する可能性が高い。その懸念は、2020年2月10日、軍事法廷で7人の若者に6年から18年の実刑判決がくだされたことにつながっている。FSBが2017年10月に11人を逮捕し、「ネットワーク」なるテロリスト集団をでっち上げ、裁判に持ち込んだ結果だと考えられているのだ。被告側の法廷証言によれば、電気ショックなどによるすさまじい拷問を受けたとされる。FSBは恐怖を煽ることで、プーチン政権を守ろうと躍起になってきたことがわかる。おそらくこうした体制をより強化するための「司法改悪」が模索されることになるだろう。

 

プーチンへの「ブローバック」の可能性

「プーチン3.0」の実像は今後、少しずつ現れてくるだろう。ただし、それはあくまでスターリンが実践したような恐怖政治のような厳しい弾圧下で初めて可能なのではないか。しかし、プーチンがChK関連機関の手綱を握るだけでは、スターリン期の「悪夢」の再現はできないだろう。腐敗にまみれたプーチン政権への反感や批判は着実に広がっている。国民によるプーチンへの「服従」は生活向上の実感があってこそ可能なのであり、それが頓挫するとき、「プーチン潰し」という大きな反動(ブローバック)が生じない保証はどこにもない。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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