先手を打ったプーチン:なぜ悪にでもなれたのか

中島みゆきの「空と君のあいだに」という歌には、「君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる」という歌詞がある。人はどんな状況下において、極悪非道の悪人にあえてなろうとするのだろうか。「笑ってくれるなら」にあたる目的は何か。そして、「君」にあたるのはだれなのか。

この問いかけは、いまのウラジーミル・プーチンの心境への重い問いかけに重なっている。

 

プーチンの哀れさ

2012年10月25日午後5時すぎから2時間半ほど、筆者はプーチンとの晩餐に臨んだことがある。出席者は外国人およそ40人、ロシア人10人ほどであった。場所はモスクワ郊外。筆者とプーチンとの距離は15メートルほどだった。このとき、筆者が強く感じたのは、プーチンの哀れさである。

外国から招かれた学者やジャーナリストは、プーチンの話を聴きながら食事をとっていたのだが、彼は一度もフォークを握ることもないまま、予定調和のつまらない質問に熱心にこたえていた。結局、テーブルに出された赤や黒のスグリを何度か口にしただけだったと記憶している。独裁者のように思われているプーチンが真摯に質問にこたえている姿に、筆者は哀れさを強く感じたのである。筆者がプーチンの立場にあったなら、ばかばかしくてこんな偽善の場から席を立っていたに違いない。

日本の外交官から聞いた話も紹介したい。その人は、日本の複数の首相がモスクワに来るたびに北方領土交渉などの協議に同席する立場にあったが、日本の首相はテーブルに置かれた書類を見ながら発言するばかりであった。これに対して、プーチンは頭に入っている正確な歴史や数字を並べ立てながら説明するのが常であったという。これが、リアルポリィークなのだ。外交交渉の場に日本首相のパッション(情熱)のようなものがまったく感じられなかったのだから、日本は最初から、負けていたようなものであった。

 

未来の「君」

こんなプーチンへの印象をもつ筆者は、プーチンが「悪人」であったとしても、極悪非道の「超悪人」であるとはまったく思っていなかった。そんな彼が、あえて最大限の悪人になる決意をしたのはなぜか。それは、未来の「君」を想定することで、将来、核戦争をも誘発しかねないウクライナのNATO加盟を断固阻止するために、未来の「君」が悲惨な目にあう前に先手必勝の賭けに出たということであるようだ。

プーチンが侵攻を開始した2月24日の当日に行った演説のなかで、彼はつぎのようにのべている。

 

 「米国とその同盟国にとって、これ(NATOの東方拡大)はいわゆるロシア封じ込め政策であり、地政学的な配当は明らかである。しかし、我々の国にとっては、最終的には生死の問題であり、民族(ナロード)としての我々の歴史的な未来にかかわる問題である。しかも、それは大げさな話ではなく、事実なのだ。これは、我々の利益だけでなく、国家の存在、主権に対する真の脅威である。これが、繰り返し語られてきたレッドラインである。彼らはそれを越えてしまったのだ。」

 

ここで注意喚起したいのは、プーチンが「未来」を持ち出している点である。「論座」において公開した、拙稿「プーチンのねらいを考える」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022020700004.html)において指摘したように、ウクライナがNATOに加盟すれば、クリミア奪還のためのNATO対ロシアの「大戦争」がはじまるという予測が成り立つ以上、未来の戦争を避けるという大義が成り立つと、プーチンは考えているのだ。いわゆる「ミンスク合意1」と「ミンスク合意2」を放置したことで、時間はどんどん過ぎてしまった(「ミンスク合意1と2」については拙稿「ウクライナ情勢の全体像が見えてきた」を参照[https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022022300001.html])。ゆえに、「平和的解決の保証を失ったロシアが先手を打ったのである」(https://expert.ru/expert/2022/09/pochemu-rossiya-bolshe-ne-mogla-otstupat/)という見方が正しいように思えてくる。

ただし、未来の世代を持ち出すところに彼の独断がある。それだけ、今回のウクライナ侵攻が100年に一度というような歴史的大事件ということになる。この場合、未来のロシア対NATOの「大戦争」においては、核戦争につながりかねない以上、時と場合によっては、この核戦争をも先取りする可能性がある。

だからこそ、ロシアのプーチン大統領は2月27日、ロシア軍で核戦力を運用する部隊に対し「任務遂行のための高度な警戒態勢に入る」よう命じた。

 

核兵器をめぐる安全保障政策

このように考えると、今回のウクライナへの全面侵攻というプーチンの決断の裏には、核兵器使用も辞さないという強い独善が潜んでいるように思えてくる。

こうしたプーチン独善をただ非難するだけでは、今回の事態を解決することはできない。ましては、将来、同じような事態が起きることを抑止するためには、今回の事態を深いところから理解する必要がある。

そこで、生じるのがこれまでの核抑止論が誤っていたのではないかという強い疑いだ。まだ核兵器は使用されていないが、その未来における使用の可能性が高いと勝手に独善的に判断したとき、人は未来の核使用に匹敵するような惨害をもたらす全面侵攻すらできるのだ。そして、戦況が悪化した場合、プーチンによる核兵器使用はむしろ必然となる。なぜなら、未来の核使用を防ぐ目的が達成されないくらいなら、いま核使用をするほうが未来における惨敗よりもずっとましであると、プーチンには思われるだろうからである。

筆者には、『核なき世界論』という著書がある。核兵器にまつわる諸問題を概括的にまとめたものだ。この本を読めば、核兵器をめぐる安全保障政策の変遷がよくわかるはずだ。まずは、この本を読むことをお勧めしたい。

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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