目から鱗の「新しい検閲」

目から鱗の「新しい検閲」

 

毎日、『サイバー空間の地政学』(仮題)の改訂に取り組んでいます。最近、目から鱗の刮目すべき記事に出会いました。それは、「ワシントンポスト」のコラムニストである、Anne Applebaumの「新しい検閲官はあなたの言葉を抹消するのではなく、それをおぼれさせるだろう」という記事(2019年2月8日付)です。

検閲と言えば、わたしの研究対象であるソ連政府が頻繁に行っていたような言論闘争のための抑圧手段でした。権威主義的な政府や独裁者にとって不都合な情報の伝播を阻止する目的でその情報開示を遮断するために公表前になされたものです。日本でも、新聞や書籍などの出版物や映画などの人目にふれやすいメディアが検閲の対象となりました。

ところがいま、こうした検閲とは異なる「新しい検閲」が広がっているというのです。以前の検閲は国家が自らに不都合な情報の伝播を阻止したり、自らに有利な虚偽情報を伝播させたりするための事前の言論統制であったわけですが、新しい検閲は、多数の人々を使ったチームあるいはロボットを利用して、人々がなにがリアルか、なにが虚偽かを理解するのに戸惑うように虚偽アカウントから大量の虚偽情報や無関係な情報を流すというやり方です。こうして情報の洪水のなかで、当局批判という情報をおぼれさせる、つまりかき消すわけでね。他方で、情報受信者には注意が不足しているので、こうした情報の貴重ささえ理解できないでいます。

彼女の記事のなかで、コロンビア大学のティム・ウー教授の論文が紹介されています。“ Is the First Amendment Obsolete?”という2017年に公表された論文です。かれは、情報発信者を狙い打ちする検閲から、情報受信者を狙い撃ちしたり、情報発信者を間接的に傷つけたりする新しい検閲が広がっていると主張しています。フェイクニュースを創作・伝播させたり、ロボットを使って虚偽情報を大量に広げたりして当局に不都合な情報をかき消すことで、言論統制をするのです。政府に不都合な情報を発信したり、反政府的な言動をしたりする人物を罵倒するような情報発信も大量に行われ、情報受信者を混乱させることで真実を覆い隠すというわけです。

 

日本の末期症状

もっとも情報化が進んだ米国では、こうした新しい検閲体制がもはや常態化しているように思います。日本でもその兆しがみえます。だからこそ、この事態に真正面から取り組む必要があると思います。

新しい検閲がすでに存在するとすれば、そうした検閲を行う主体や、そこに資金を提供する主体もあるはずです。こうしたカラクリについて、わたしたちは知らなければなりません。同時に、新しい検閲のなかでも、人々を「啓蒙」するにはどうしたらいいのかも考えなければなりません。

日本の場合、あまりにも無知で無関心な者が多すぎるという絶望的な状況があります。もはや新しい検閲を導入しなくとも、大多数の国民は政治に関心を失っているようにみえます。もはや末期症状なのかもしれません。

はやり大切なのは教育でしょう。新しい検閲の話やディスインフォメーション工作の恐ろしさを教えることで、人間ではなく国家を優先するような間違った見方を糾弾できる視角をひとりでも多くの人にもってもらいたいと願っています。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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