『ラディカルズ』

『ラディカルズ』

学生諸君には、夏休みにぜひともジェイミー・バートレット著『ラディカルズ:世界を塗り替える〈過激な人たち〉』(双葉社、2019年)を読んでほしいと思います。ついでに、8月に発売される拙著『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法的規制のゆくえ』(社会評論社、2019年)もお勧めしたいと思います。

『ラディカルズ』に紹介されているのは、第一に、「トランスヒューマニスト」のゾルタン・イシュトヴァンです。「トランスヒューマニズム」とは、テクノロジーによって身体も頭脳も、さらには道徳性までも向上させることができると信じる考え方を意味しています。そのため、「トランスヒューマニスト」は延命技術、老化防止のための遺伝子学的研究、ロボット工学、AI、サイバネティクス、地球外への移住、仮想現実、人体冷凍技術などに取りつかれています。伝説のギルガメッシュ王が永遠の命の秘密を探し求めるように、現代の『グルガメッシュ叙事詩』が展開されているのです。

第二に、「イスラモフォビア」(イスラーム恐怖症)に侵された人々が取り上げられています。第三に紹介されているのは、幻覚剤・LSDの禁忌に挑戦する人々です。マジックマッシュルームから分離されたサイロシビンの有効性を積極的に検証しようとしたハーバード大学のティモシー・リアリーの遺志を継ぐ人々が着実に広がりをみせている事実を教えてくれています。スティーブ・ジョブズがLSDを使用していたのは事実ですが、その意味を真摯に説明しようする試みを座視するわけにはゆきません。

第四のラディカルズは、イスラーム過激をまるで病気のように「予防」せんとする英国政府のプログラムを紹介し、そうした動きにかかわっている人々です。

第五のラディカルズの一人として、イタリアの「五つ星運動」(Mo Vimento 5 Stelle)を創始したコメディアンのベッペ・グリッコが紹介されています。「結社ではない集まり」であるこの運動体は政党ではありません。Mo Vimento(movement)のなかの大文字のVはVaffancullo(失せやがれ!)という意味を示しているそうです。英語で言えば、Fuck offといったところでしょうか。

2009年にコメディアンのベッペ・グリッコが自分のブログへの書き込みを通じて五つ星運動を共同で立ち上げたとき、その主張は「政治家は寄生虫だ」、「全員、家に帰らせろ!」であったといいます。疲弊した古い政治体制を改め、直接民主制や徹底的な透明性を取り入れて腐敗をなくすと宣言したのです。

第六に、自然エネルギーの利用、コミュニティへの回帰、フリー・ラブといった、資本主義社会に背を向けるコミューンの実現に邁進するラディカルズが紹介されています。具体的には、ポルトガルのタメラで実践するディーター・ドゥームという精神分析医と、そのパートナーであるザビーネ・リヒテンフェルスという自称霊媒師です。

第七のラディカルズは環境保護運動の活動家たちです。第八のラディカルズは国民国家やその国家主権に対抗しようとする人々です。「国民国家はもう要らない」と叫ぶ人々です。

 

「国民国家はもう要らない」

第八のラディカルズはわたしの主張に近いので、もう少し丁寧に何がかかれているかを説明してみましょう。

まず、地球上でどの主権国家からも正式に領有権を主張されていない土地、「ゴルニャ・シガ」の話が語られています。面積は7万平方キロメートルありますが、人の住んでいない沼地です。ドナウ川のクロアチア側にあります。クロアチアとセルビアとの間で、国境が画定されていないために「ゴルニャ・シガ」の領有権が宙ぶらりんの状態に置かれているのです。

2014年、チェコ共和国出身のリバタリアン(自由主義尊重主義者)の政治活動家ヴィート・イェドリチカは新しい国を建国できる土地を世界中で探していました。2015年4月13日になって、トマス・ジェファーソンの誕生日にヴィートはゴルニャ・シガに到着し、その沼地を「リベルランド自由共和国」と宣言しました。税金は自主的に納付し、政府はほぼ存在せず、ドラッグと銃は合法であり、何を言おうが何をやろうがほとんど制限はないという国です。

独立国家として資格を定めた1933年のモンテビデオ条約に基本的な要件を満たせば、新しい独立国家になれます。その条件には、①人が常住している、②領土が定められている、③実際に機能する政府の存在、④他の国家と関係を結ぶ能力がある――などがあります。リバルランドの場合、無主の地であり、その取扱いが注目されているのです。明文化されていない独立国家の条件として、「国際的に認知されているか」があるのですが、これさえクリアできれば、リベルランドが独立国家として大手を振って活動することができるようになるかもしれません。

別の動きもあります。それは、最新のテクノロジーを駆使して物理的にはいっさい存在しない国をつくろうとするものです。具体的には、スザンヌ・タルコフスキ・テンペルホフの「ビットネーション」設立の運動があります。詳しくはhttps://tse.bitnation.co/ja/を参照してください。

 

ラインマーカーを引いた箇所

最後に、わたしが『ラディカルズ』のなかでラインマーカーを引いた気になる箇所をいくつか紹介しておきましょう。皆さんもまた、よく考えてほしい興味深い論点になりうると思うからです。

389頁

「スザンヌは民主主義を信用していない。別のかたちの集産主義に過ぎず、真の自由を保障するものではないと考えているのである。「学校では、民主主義は被治者の合意の上に成立している、って習うわよね」とスザンヌはいった。「ふざけるな、って感じ。民主主義っていうのは、自分が納得できない規制に無理やり合意させられることよ。そして欲しくもないもののために税金を払わないといけない! 衆愚政治もいいところだわ」。これに関してはスザンヌは正しい」

408頁

「いまなぜ、〈過激な人たち〉に着目することが大事なのか。社会の端っこから「不死を目指すべきだ」とか、「国民国家はもう要らない」とか、「幻覚剤は精神に新たな窓を開く」とか、「すべてを捨てて小さくて持続可能なエコビレッジに住むべきだ」と叫ぶ人たちが、なぜ必要なのか。その理由はおもに二つある」

408頁

「一つめの理由は、彼らが正しいかもしれないからである」

412頁

「わたしたちに〈過激な人たち〉が必要な二つめの理由は、彼らが間違っているかもしれないからである」

414頁

「〈過激な人たち〉がいない自由民主主義は委縮し、退化していくだろう。社会は退屈で単調な、誰も疑問に思わない定説と一般通念にとらわれて硬直し、人々は自分の頭で考えないようになるだろう。これこそが、まさにこの30年間に起こったことだ。現代のリベラルの口からは、あらゆる正しい発言――民衆の声に耳を傾けること、人権を守ること、民主主義的価値観を大事にすること、寛容であること、その他もろもろ――が出てくるが、頭の方はきちんと働いていない。ただ陳腐な決まり文句を習慣的に垂れ流しているだけなのだ」

420頁

「歴史が教える不変の真実は「この世に変わらないものはない」ということだ。自由民主主義を当たり前のものだと思いこまないほうがいい。この50年間、自由民主主義は最大の平和、繁栄、幸福、機会、自由を確保する方法として、その原理のもとで生きている人たちにとってはもっとも成功してきた。それがこのまま続くかどうかはわからない。もしうまくいかなくなるとしたら、それはきっと〈過激な人たち〉がいるせいではなく、〈過激な人たち〉がいなくなってしまったせいだろう」

 

 

 

最後に、「21世紀龍馬会」はこうした「ラディカルズ」に憧れる集団になろうと考えています。そして、できれば一人くらいは「本物の21世紀龍馬」になってほしいと願っています。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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