「国民に死を」という日本国家:菅は「人殺し」か

歴史をつぶさに観察すると、一つのことに気づく。それは、いわゆる「カリスマ性」のない凡庸は支配者・為政者ほど、権力をふるうという法則のようなものだ。

その典型が習近平だろう。これについては、このサイトに2020年1月28日に「安倍晋三の「品格」」という記事のなかで論じたことがある。エズラ・ヴォーゲルとわたしの友人、出口治明の対談「日本はどう中国と付き合うべきか」のなかで紹介されている話(『週刊文春』2020年1月16日号)だが、もう一度繰り返してみよう。

 

鄧小平と習近平の比較

鄧小平は1920年、16歳でフランスに渡って働きながら5年間学び、ロシアでも1年間マルクス主義を勉強した。帰国後は、第二野戦軍などを12年間指揮した。1949年の中華人民共和国成立後、西南地方の行政局第一書記を3年間やり、それから北京に行って、共産党の総書記を10年務める。この間、行政手腕を磨いた。1966年の文化大革命で地方へ追放されたが、毛沢東に詫びを入れ、1973年に北京に呼び戻される。そして、周恩来首相の右腕として外交にかかわった。つまり、鄧小平は若きエリートとして輝きを放ち、カリスマ性があった。

これに対して、習近平は副首相まで務めた父親習仲勳の文化大革命による失脚で、16歳のとき農村に下放され、7年間農作業に従事した。その後、父親の復権で清華大学への入学が許されたが、文化大革命の時期であっため、高等教育は受けていない。外国で学んだこともない。つまり、「習近平の経験は、鄧小平の経験とは比べ物になりません」とヴォ―ゲルは言う。さらに、ヴォ―ゲルはつぎのように指摘している。

「そういった経歴の習近平は、自分には力がある、と誇示したいのです。知識人、人権活動家、少数民族などへの弾圧を厳しくし、南シナ海での強引な人工島建設など拡張主義的な外交を行い、国際社会の反発も意に介さないのは、そのためだと思います。」

さらに、ヴォ―ゲルはつづける。

「鄧小平は大きく政治的な方針を示したら後は部下に仕事を任せておくマクロマネジメントのやり方でした。部下は鄧小平に敬意を抱き、かれの言うことをよく聞きました。

一方、習近平は政治、軍事、経済、メディア、教育、外国などあらゆる分野に口を出し、李克強首相の領分まで自分でやってしまいますが、習近平にはそれほどの権威はない。だからこそ、いろいろな雑事に関しても会議を開き、強面を見せるのでしょう。」

はっきり言えば、無能な輩ほど、強面をひけらかすことでしか、自らの権力を維持できないのだ。

 

無能な菅の強がり

いま、日本でも同じようなことが起きている。菅義偉首相に「カリスマ性」を見て取る人はだれもいないだろう。ただ、Dishonest Abeとして海外でも知られている安倍晋三前首相に追従し、安倍の権力を維持するために首相の座についただけの人物に敬意をいだく人物がいるとすれば、そうした人の頭の構造がおかしいのだ。

小沢一郎がなかなか的確な菅評を明らかににしている。「小沢一郎が咆哮 菅政権は「日本の悲劇」だ」という記事(https://mainichi.jp/sunday/articles/20210614/org/00m/010/003000d)のなかでのことだ。

菅の「ボキャ貧が致命的?」と問われて、小沢はつぎのように答えている。

「というより、トップリーダーとしての資質問題ではないか。自分の信念、哲学、理念をきちんと持っていないから何と言っていいかわからないんだと思う。オドオドした目つきで何も答えられない。国民が逆に不安を感じてしまう」

G7サミットに出席しても、外国首脳から相手にされず、おどおどするだけの菅を見れば、こんな輩が敬意を集めるのにどうするかといえば、もうそれは「強面」でやるしかないのである。

 

「人殺し=菅」という現実

きわめて遺憾なのは、その結果、菅は日本国民を平然と殺そうとしていることだ。東京オリンピックを開催すれば、必然的に人流が増加し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で死亡する人が増加することになる。にもかかわらず、菅は五輪をやるのだという。しかも、毎日、20万人とか30万人もの人々の移動が生じるにもかかわらず、観客を入れて開催するのだという。

はっきり言って、菅は五輪を政治利用し、その結果として、国民が死ぬことを何とも思っていないようにみえる。煮え切らない小池百合子も、セクハラ「女」の橋本聖子も同罪だ。思えば、彼らも無能な割に社会的地位を獲得し、「強面」を迫られているように思えてくる。

今日、読んだ情報で興味深かったのは、「五輪開催、菅首相の決意が固い理由」というFTの記事(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB214HY0R20C21A6000000/)である。

つぎの指摘はなかなか興味深い。

「日本の指導者たちは、中国が22年初めに冬季五輪を主催することも強く意識している。日本の恥ずべき失敗からわずか8カ月後に中国で五輪が見事に開催されるのは、自民党の政治家が誰も考えたくないことだ。」

こんな連中が政治家であること自体が間違っているのだ。

 

五輪を開く別の理由

ついでに、2021年6月21日付の「ニューヨークタイムズ電子版」の記事「なぜオリンピックは開催されるのか?数字で説明する」(https://www.nytimes.com/2021/06/21/sports/olympics/tokyo-olympics-happening-why.html)を紹介しておこう。

まず、154億ドルが問題となっている。

「もし東京の新国立競技場が開会式の夜に空っぽになっていたら、154億ドルの投資がほとんど水の泡になってしまう。この数字は、有名な巨額のオリンピック予算の中でも記録的なもので、昨年だけで30億ドルも膨れ上がっている。しかし、お金の損失に加えて、日本の風評被害は計り知れないものがある」

このようにNYTは書いている。

40億ドル。これは、オリンピックが開催されなかった場合に、大会を主催・運営する国際オリンピック委員会が返金しなければならない可能性のあるテレビ放映権収入の額だ。

12.5億ドル。2020年3月、米国での放送権を持つNBCユニバーサル社は、東京オリンピックの国内広告を12億5,000万ドル販売したと発表した。オリンピックは明らかにカネ目的で開催されるのであり、平和の祭典などというのは、まったくのでっち上げにすぎない。

5億4900万ドルというのは、国際オリンピック委員会(IOC)が大小の各国オリンピック委員会にいわゆる連帯金やその他の支払いとして分解しているカネの総額だ。IOCだけでなく、各国のオリンピック委員会(NOC)もカネで動いているのである。だからこそ、日本オリンピック委員会の経理部長が自殺した事件は深刻なのである。にもかかわらず、山下泰裕会長をはじめとする幹部はひたすら隠蔽にはしっている。

 

連帯責任の重さ

こんな風にみてくると、つくづくと感じるのは「連帯責任」の重さである。菅のような人物が首相をやっている現実こそ、日本国民の政治への無関心が招いた悲劇なのだ。それは、いわば連帯責任のようなものであり、わたしを含めて責任を感じざるをえない。

そもそも安倍のような世襲議員ばかりが目立つ日本は専制主義国家のままであり、そのなかで這い上がってきた菅のような輩はその過程で骨抜きにされている。

今後、心配されるのは河野太郎のようなマヌケが首相になり、再び、「強面政治」を行うことである。

残念ながら、まともで尊敬できるような人物は政治家になるとは思えない。そんな状況が現実なのだ。もちろん、こうした悪夢のような状況は改革しなければならない。少しずつしか改善できないかもしれないが、まずは現実を直視するところからはじめる必要があるだろう。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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