報告書「復讐と忘却の間で:ロシアにおける移行期正義の概念」

しばらくさぼっていた。「論座」への寄稿が忙しい結果である。いま、取り組んでいる最大の課題は、ロシア語の大分の報告書「復讐と忘却の間で:ロシアにおける過渡的司法の概念」(https://trjustice.ilpp.ru/introduction.html)の読解だ。

ソ連型社会主義の資本主義への「移行」という観点から、「移行経済」という言葉は比較的よく知られている。これに対して、「圧政後の移行期」という、専制君主的な支配や社会主義的な独裁といった圧政から民主国家への移行を主に法律的および政治的観点から考察する「移行期正義」という視点がある。

ところが、ロシア研究者のなかでこの「移行期正義」の観点から、ロシアにスポットを当てる者は極端に少ない。筆者に言わせれば、「移行期正義」の観点がなければ、腐敗が蔓延するいまのロシアの問題を理解することはできない。ゆえに、日本のロシア研究者の多くはロシアの研究においてあまりにも無知蒙昧であると指摘せざるをえない。ここでは、この問題について取り上げ、「論座」用の原稿を書くための「準備」としたい。

 

「移行期正義」とは?

まず、「移行期正義」(Transitional Justice)とは何かについて語りたい。国際連合は、2004年に公表した事務総長報告「紛争・紛争後の社会における法の支配と移行期正義」(https://www.un.org/ruleoflaw/files/2004%20report.pdf)のなかで、「移行期正義」を、「説明責任を確保し、正義を果たし、和解を達成するために、過去の大規模な虐待という遺産と折り合いをつけようとする社会の試みに関連したプロセスとメカニズムのすべての範囲を含んでいる」と説明している。これらには、国際的な関与のレベルが異なる(あるいはまったく関与しない)司法的・非司法的メカニズムおよび、個別の起訴、賠償、真実の探求、制度改革、審査と解任、あるいはそれらの組み合わせが含まれるかもしれないとのべている。

なお、ここで国連がいう「正義」は、「権利の保護・擁護、過ちの防止・処罰における説明責任と公正さの理想」と定義されている。別言すると、「正義が意味しているのは、被告人の権利、被害者の利益、社会全体の幸福を尊重するということだ」としている。

いずれにしても、「移行期正義」を司法制度に関連づけて理解しようとしている。

他方で、洪恵子著「移行期の正義(Transitional Justice)と国際刑事裁判」(https://mie-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=6967&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1)によれば、冷戦後、国際社会の関心が暴力や人権侵害が再び繰り返されないような社会への脱皮を支援するというかたちで変化しており、こうした社会の変化という方向性を強調しているのが「移行期の正義」という概念である、という。

洪は、「現在では、移行期の正義とは、旧政権時代に行われたことに対して新生の民主的政権がどのように対応すべきか、換言すれば法の支配を確立し、人権が尊重される社会を作るための様々なメカニズム(または道具 (tool))を示し、またそれらに関する議論の枠組みを意味している」とのべている。

洪の場合、「移行期の正義」を司法制度だけでなく、政治的な関係をも含んだかたちで論じようとしているようにみえる。こうした概念を移行期正義に適用すると、その関心はもっぱら中南米や東欧での独裁政権とその崩壊後における移行にあてられてる。その典型が国連大学出版部によって2012年に刊行された『圧制の後で:中南米と東欧における移行期の正義)』(After Oppression: Transitional Justice in Latin America and Eastern Europe)であろう。

 

「経過的正義」

国連の「移行期正義」はいわば、もっとも「移行期正義」を狭義に解釈し、洪はそれを、人権侵害を伴うような圧政から民主国家への移行といった、もう少し広義に解釈している。だが、ここではさらに広義に「経過的正義」ないし「過渡的正義」と訳したほうがいいかもしれないような「揺れる正義」を考察対象とする。

Transitional Justiceを「移行期正義」と翻訳すると、ある体制から別の体制への移行がイメージされ、それが社会主義から資本主義へ、あるいは独裁制から民主制への移行を連想させる。しかし、ここでは、「正義」そのものが不安定であり、「経過的」ないし「過渡的」なものにすぎないという見地にたって、狭義の「移行期正義」の視点を拡張解釈してみたい。

なぜか。それは、たとえ民主国家であっても、ときの権力者の不正が糺されず、腐敗や不正な選挙が行われたことに対して、広義の「移行期正義」、すなわち、「経過的正義」という論点から新しい議論を展開したいからである。わかりやすくいえば、安倍晋三が犯した罪を「経過的正義」で断罪するにはどうしたらよいかを考えたいのである。

 

報告書「復讐と忘却の間で」

紹介した報告書は、2020年10月10日にニコライ・ボブリンスキーとスタニスラフ・ドミトリエフスキーが共同で公表したものだ。報告には、ロシアにおける犯罪が制度的に罰せられないことが引き起こす法的課題に関する研究結果を提示されており、「移行期正義」における制度的な不利益の結果に対処するための措置が提案されている。

この報告書の内容のうち、興味深い点を紹介したい。

報告では、「移行期正義」の目的について、つぎのように記述している。

「移行期正義は、以前に処罰されなかった重大な人権侵害や当局が認めた法の支配に対するその他の重大な侵害に対して、効果的かつ合法的な対応を確保することを目的としており、そのような侵害の状況を明らかにし、責任者を裁判にかけ、法的かつ公正な処罰を適用し、被害者に与えた被害を救済し、不法な攻撃が繰り返されないように保証することを目的としている。」

こうした観点から、将来、ロシアが民主的な法治国家を築く道に戻ることを期待して、前もって移行期正義が計画されるべきであるとの立場から、「ロシアにおける将来の移行期正義のモデルを準備し、その議論のために提案する」ことをめざしたという。

こうみてくると、本報告書では、司法を中心に移行期正義を論じようとしていることがわかる。

報告書の構成は、移行期正義の理論、対外的・国際的実践、その法的・方法論的枠組み(序章)、ロシアにおける移行期正義施設の選択の根拠(第1章)、およびその特徴(第2~6章)についての説明が含まれている。報告書の主要部分は、移行期正義の法律概念(第8章)とその制度的枠組み(第9章)である。

 

序章第三節「移行期正義に関する一般的な情報」

まず、序章第三節「移行期正義に関する一般的な情報」について紹介し、報告書が規定する「移行期正義」についての理解を深めてほしい。

報告書では、移行期正義が、政治的な理由で処罰されないままになってしまった大規模な人権侵害への法的対応と、その被害者への賠償を主な目的としている、と指摘されている。同時に、被害者の権利とニーズに焦点を当てることが提案されている。ただ、こうした主目的に加えて、法の支配の回復、新たな民主主義秩序の保護、国民和解といった政治・制度構築に関連する問題と移行期正義との間には結節しているから、移行期正義は決して司法問題だけにとどまらないとの立場をとっている。

これに関連して、「近年、いくつかの国では、汚職関連の犯罪や経済的抑圧の結果に対処するために移行期正義を利用しようとしている」という指摘は興味深い(ここでの考察の動機になった視角である)。

つぎに、「一般的な情報」として重要であると思われるものをそのまま引用してみよう。

「とくに国連で広く使われている認識によると、移行期正義が含む主要なメカニズム(制度)はつぎのものである。すなわち、刑事訴追、事実調査、賠償、繰り返さないという保証(それらのなかで禊が通常もっとも問題になる)である。」

「移行期正義の現代の研究者はその例を古代史に見出す。しかし、共通の目的によって結ばれ、理論的根拠によって支えられた一連の法的措置としては、それは20世紀の80~90年代の変わり目にしか形成されていない。ラテンアメリカでの軍事政権の崩壊とその後の市民的平和と民主主義を回復させようとする努力は、旧政権が犯した犯罪への法的対応の問題点を明らかにした。これらの問題は国際人権団体の活動家や人権研究者の注目を集めている。彼らは正義と、合法的な民主的秩序の構築にかかわる利益との間の最適バランスを模索しはじめた。この点で、「移行期正義」という言葉が使われるようになったのである。」

「現在、移行期正義のさまざまなメカニズムが世界の数十カ国で働いている。この分野で比較的最近はじまった包括的プログラムとして言及すべきなのは、チュニジアでの真理と尊厳の委員会、ウクライナでの非共産化および権力浄化に関する法律、コロンビアでの武力紛争犠牲者に関する政府と、コロンビア革命軍(FARC)との間の合意である。」

「ロシアでは、これまで、それらはソ連国家のテロという重大なる遺産を克服するための象徴的な措置に主として限定されていた。1991年の「政治的抑圧の犠牲者更生に関する法律」は、反対意見と良心の自由を抑圧することを目的としたソ連刑法典のいくつかの条項の更生と破棄に加えて、補償、没収財産の返還、政治的抑圧のケースの調査・検討に参加した者の刑事責任追及、抑圧された者のロシア市民権の回復に関する規定を含む。しかし、実際には、これらの規定の適用はほとんど限られたものでしかない。ポスト共産主義のヨーロッパで普及するようになった、禊、政治警察公文書館へのアクセスの公開、国有化された財産への所有権の返還のような移行期正義のメカニズムはロシアではほとんどしられていない。」

「移行期正義のいくつかの要素は、ロシアではポスト共産主義の変革に関連してではなく、国内の武力紛争や政治紛争の状況下で利用された。これらは、1994年の「政治的恩赦」(国家非常事態委員会のメンバーやロシア最高ソヴィエトの擁護者のため)や北コーカサスでの武力紛争参加者への恩赦である。」

「移行期正義は抑圧的な権威主義から民主主義への社会の変革のなかでしばしば現れる二つの極端、すなわち復讐と忘却の対極にある。」

ここから、「復讐と忘却の間で」というタイトル名が決められたことになる。

「第一の極端さが生じるのは、正義を長く奪われてきた被害者(あるいはその代弁者)が自らの手に正義を得て虐殺を行うときである。古典的例には、アルメニア人大虐殺の主催者や加害者に対してアルメニア革命連盟が行った「ネメシス作戦」、1956年のハンガリー蜂起時の国家保安機関員への街頭処刑、チャウシェスク夫妻の射殺などがある。第二の極端では、犯罪加害者は処罰されず、生存者はすべてを忘れるように促される。このような場合、無修正のまま刑罰を免れていることは新しい処刑人を鼓舞するのだが、社会は新たな形態で復活する傾向にある独裁政権に対する必要な予防接種を受けていない。例として含まれているのは、ポストソヴィエトのロシア、アゼルバイジャン、中央アジアの旧ソヴィエト共和国などである。移行期正義は、正義に基づく国民和解を確保し、不法行為への免除を発展させ、過去への逆戻りから将来を守るという、中間的な「ロシア皇帝的方法」を提供する。その意味で、移行期正義は暴力と無力化に等しく対抗するものであると言える。」

 

狭義の「移行的正義」から広義の「経過的正義」へ

移行期正義の実践を考えると、時効、裁判不服申し立て期間、補償・賠償、恩赦などが重要な論点を形成することがわかる。それらについての詳細な議論が報告書において展開されてる。ただ、これ以上の紹介は割愛する。

 

「経過的正義」の立場

ここで紹介した「移行期正義」はあくまで圧政から逃れることに成功したあとの民主的制度のもとで、その圧政時に受けた暴力や損害に対して「復讐と忘却の間」のどの程度の措置で折り合いをつけるかを問題にしている。

だが、圧政でなくても、既存政権下での政治家や官僚、警官、検察官、裁判官などによる不法行為に対して、民主的な制度のもとで前政権下の不正を糺すことのできる仕組みづくりを整備することは必要なのではないか。たとえ民主国家であっても、政権交代にともなって前政権下での立法・行政・司法上の諸措置・政策の見直しができるようにする法的メカニズムの整備はあってもいいのではないか。

ある時点の正義は決して絶対的正義ではない。別の時点では別の正義が想定できる以上、常に政権移行に伴う正義の「転移」を前提とする「経過的正義」の立場から、前政権下での不正を糺すことができるようにしておくことは有意義ではないか。

安倍晋三から菅義偉への政権交代は、「移行期正義」も「経過的正義」も問題にはならない。どちらも「自民党的正義」という、「灰色の正義」がつづいているだけの話だ。だが、菅から立憲民主党の枝野幸男への政権交代があれば、そのときには「経過的正義」を前提に、安倍や菅のもとでんされた立法・行政・司法上の諸措置・政策について、問い直すことができるように、時効や裁判不服申し立て期間、補償・賠償、恩赦などで、そうした問い直しが可能なメカニズムを整備しておくことがあってもいいのではないか。

本当は、この最後の論点について、もう少し丁寧な考察が必要だが、時間がないので今回はこのあたりでとどめておくことにしよう。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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