ローマ教皇フランシスコ発言の重みとそれを伝えられない日本のマスメディアの罪

いま、Anu Bradford著Digital Empiresを読んでいる。とてもいい本だと思う。そんななか、あまりにもバカなマスメディアの報道に許しがたい想いがわいてきたので、ここに取り上げることにしたい。それは、ローマ法王フランシスコの発言をめぐる報道だ。

 

BBCの報道

たとえば、BBCは、「ウクライナは、ローマ教皇フランシスコがキーウにロシアとの戦争終結を交渉し、「白旗を揚げる勇気」を持つよう呼びかけたことを強く拒否した」という記事のなかで、2月に実施されたスイスの放送局RSIとのインタビューの経緯について説明している。「ロイター通信が引用した原稿によると、教皇は、ウクライナにロシアとの和解を求める人々、つまりインタビュアーが言うところの「白旗」を振ることを望む人々と、そうすることは侵略を正当化することになると主張する人々との間の議論についてコメントするよう求められた」と書いている。しかし、この説明は不親切だ。

実際には、つぎに紹介するWPの記事のように明確に教皇発言の経緯を説明する必要がある。

「バチカン通信が翻訳して公開した原稿によると、インタビュアーのロレンツォ・ブチェッラ氏がフランシスコに尋ねた: 「ウクライナでは、降伏の勇気や白旗を求める声もある。ウクライナでは、降伏する勇気、白旗を揚げる勇気を求める声もありますが、そうすれば強い方を正当化することになると言う人もいます。あなたはどう思いますか?」

フランシスコは、自分の意見では、「白旗を揚げて交渉する勇気を持つ者」が強い側だと答えた。」

これを知れば、フランシスコの発言に問題を感じる人は少ないだろう。実に真っ当な内容だからである。ところが、多くのマスメディアは「白旗」部分だけを取りあげて、まるでフランシスコがウクライナに「降伏」を迫っているかのような誤解を与えて、物議を醸し出そうとしているかのようにみえる。

朝日新聞の場合、ここで紹介したような経緯が比較的しっかり書かれている。それに比べると、読売新聞は読むに値しない。

 

拙著『ウクライナ戦争をどうみるか』で紹介したフランシスコ

別の教皇フランシスコの発言を拙著『ウクライナ戦争をどうみるか』で紹介したことがある。それは、以下のとおりだ。

 

 「ローマ教皇の影響力は?

  カトリックの総本山、ローマ教会のフランシスコ教皇の力はどうだろう。彼のインタビューを読むかぎり、もっと彼の考えを知ってほしい。いまの欧州の政治的指導者よりもずっとまともだと、私は思う。

  六月一八日に公表されたフランシスコ教皇とのインタビュー記事のなかで、インタビューの行われた五月一九日の段階で、彼は興味深い話を披露している。ウクライナ戦争がはじまる数カ月前にある国家元首に会ったフランシスコは、彼がNATOの動きを非常に心配しているといったと話した。なぜかと尋ねると、「彼らはロシアの門前で吠えている。ロシアは帝国であり、外国勢力が近づくことを許さないということを理解していない」と、彼はのべ、「このままでは戦争になりかねない」と締めくくったという。

  彼自身の発言はつづく。「誰かがこういうかもしれない。でもあなたはプーチンに賛成しているのでしょう!」と。それに対して、フランシスコ教皇はつぎのように語ったという。

 

「いいえ、そうではない。そのようなことをいうのは単純で間違っている。私は、非常に複雑な根源や利益について考えることなく、複雑さを善悪の区別に還元することに反対しているだけだ。」

 

  だからこそ、フランシスコはインタビューの冒頭、「通常の「赤頭巾ちゃん」のパターンから離れる必要がある」とのべ、「赤頭巾ちゃんはいい子で、狼は悪いもの。ここには、抽象的な意味での形而上学的な善悪は存在していない」と指摘した。そのうえで、「何かグローバルなものが現れており、その要素は互いに非常に絡み合っている」とのべている。

  この二つの発言から、ロシアが悪で、ウクライナが善とする見方がいかに皮相であるかをフランシスコは知っていることがわかるだろう。

  八月二四日になって、フランシスコは同月二〇日、運転するトヨタ・ランドクルーザーが爆発し、死亡した、ロシアの思想家アレクサンドル・ドゥーギンの娘ダリアについて、「自動車爆弾で吹き飛ばされた哀れな少女」と呼んで悼んだ。教皇はウクライナの独立記念日とロシアの侵攻から六カ月を記念した演説で、戦闘を終わらせるための「具体的な措置」を求め、ダリアを戦争の無実の犠牲者と呼んだのである。さらに、「罪のない人が戦争の代償を払っている!この現実を考え、伝えよう、「戦争は狂気である」と」、フランシスコは語った。

  これに対して、バチカン市国に駐在するウクライナ大使は、彼女は無実の犠牲者ではなく、ロシア帝国主義の「思想家」であるとツイートした。たしかに、ダリアは父親譲りの極右の思想の持ち主であったようだ。フランシスコはそんなことは先刻承知のうえだ。彼は、一刻も早く狂気の戦争を止め、平和を取り戻すことを求めているだけだ。私は、ローマ教皇の考え方に賛成する(もっとも、第5節でのべるように、教皇の姿勢は八月末以降、ロシアに厳しくなっている)。

  たしかにロシアの侵略を受けたウクライナの人々には同情する。だが、被害者であることを理由に、自分たちがあくまで善であると主張するのはいかがなものか(現に、ダリアはウクライナの諜報機関によって殺害されたとの見方が確実視されている)。フランシスコのいうように、善悪は絡み合っており、そう簡単に白黒を判別できるわけではない。こうした当たり前のことさえわからずに、ウクライナだけを善とするような欧州の政治的指導者に私は失望している。」

 

ゼレンスキーは大統領選を実施せよ!

ゼレンスキー大統領の任期は5月で切れる。それにもかかわらず、戒厳令を理由に、彼は大統領選を延期している。それが憲法の規定だからというわけだが、戦争を停止する「勇気」のない、つまり、自分の大統領という権力にだけ固執した人物によって、毎日、多くのウクライナ国民が死につづけている。こんなゼレンスキーをジョー・バイデン大統領は自分の選挙戦に利用して、ウクライナに戦争をつづけさせることで、アメリカ国内での雇用を維持し、その実績をアピールすることで大統領選での票に結びつけようとしている。

こんな歪んだ権力欲だらけの人物を真正面から批判する人が少なすぎる。その意味で、教皇フランシスコの発言は重い。

しかし、マスメディアがその発言をしっかりと報道しなければ、その言葉が人々に伝わらない。その意味で、バカだらけの日本のマスメディアの罪は重い。

 

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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