米ロ首脳会談とディスインフォメーション

米ロ首脳会談とディスインフォメーション

7月16日、フィンランドのヘルシンキで米ロ首脳会談が開催されました。その関係で、昨日あたりから18日にかけてこの報道が日本でもなされるでしょう。そのとき、気をつけてほしいことがあります。「ディスインフォメーション」(disinformation)による情報操作(manipulation)です。

欧米のマスメディアも日本のマスメディアも、本当は実にいい加減なものが多い。わたしは朝日新聞や日本経済新聞の記者をしていたことがありますから、ある意味で「真実」を語る資格があるわけでね。

まず、気をつけてほしいのは、「プーチンがトランプを1時間以上待たせた」という報道です。プーチンは他国の大統領であろうが、首相であろうが、頻繁に長時間待たせることがあることは周知の事実です。わたしもかれとの会食に際して、2時間ほど待たされた経験があります(といってもわたしの場合はプーチン対50人ほどの集団でしたが)。

「意図的で不正確な情報」を意味するディスインフォメーションは、いかにも本当でありそうなことに目をつけます。厚顔なプーチンであれば、トランプでさえ待たせることを厭わないかもしれません。しかし、17日付の「コメルサント」紙(ロシアの有力紙であり、決して親プーチンで凝り固まっているわけではありません)によると、遅れたのは米国側であったそうです。朝、トランプは自分のビジネスの仕事があったらしいのです。

なにがいいたいかというと、このように真実を知るのは困難であり、事実関係のはっきりしない情報に騙されないようしなければならないということです。

信じてはならない米マスメディア

米ロ首脳会談を終えて、米側のマスメディアは2016年の大統領選に干渉したロシアおよびそれを主導したとみられるプーチンを厳しく攻撃しなかったトランプを断罪する論調が多いように思われます。しかし、このマスメディアの姿勢は誠実さに欠けています。

第一に、自らの政府ないしその息のかかった人物が外国に対して「民主主義の輸出」や大統領選への干渉、さらにはクーデター幇助さえ行ってきたし、いまも行っている事実について、米マスメディアはほとんど報道していません。ロシア政府ないしロシア人が行った干渉は決して許せないかもしれませんが、そうであるならば、自国政府やその国民(たとえばジョージ・ソロス)が行っていることもまた厳しく糾弾すべきでしょう。そもそも民主主義のためであれば、外国の選挙であっても平然と干渉してきた自国政府の原理そのものが本当に正しいのかを自問自答すべきなのです。

その意味では、2017年1月16日付「ロシア新聞」に掲載されたニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記のインタビュー記事は重要です。かれは、「米国領内に主要なインターネット・サーバーが配置されており、それらが世界における自らの支配の維持をねらって諜報やその他の目的のためにワシントンによって利用されている事実を無視している」と厳しく指摘しています。つまり、アメリカ政府にしても米マスメディアにしても、ロシア政府などを非難する資格がそもそもあるかどうか、きわめて疑わしいのですよ。

第二に、大統領選のさなかにおいて、ハッキングなどの対策を怠ったヒラリー・クリントンへの批判が足りないと思います。JETROの八山幸司著「米国における暗号技術をめぐる動向」(『ニューヨークだより2016年10月』)を参考にしながら、この問題について考えてみましょう。

Appleは2016年6月、最新OS、macOSに合わせた新しいファイルシステム(Apple File System, APFS)を発表し、暗号化機能を強化したことをアピールしています。以前からAppleはOSにFileVaultというディスクボリューム全体を暗号化できる機能を搭載していましたが、APFSではファイル単位での暗号化が可能であり、ファイルのデータとメタデータが別々に暗号化できるなどの機能が提供可能となりました。さらに、Appleは2017年からiPhone、Apple Watch、Apple TVなどの製品にもAPFSを適用していく方針です。Googleもユーザーへの暗号化の利用を支援する取り組みを開始しています。同社が提供するウェブプラウザ、Chromeでは、SSL/TLSなどで暗号化された通信を行うHTTPS(ウェブサイトのURLがhttps:で始まる)であれば安全であることを示す南京錠のマークがURLの隣に表示されるといったサービス提供をはじめています。

こうした大手のIT企業の暗号化への積極姿勢以外にも、SNSを提供する企業を中心に、「end to end暗号」(通信を行う2者間を結ぶ経路全体を暗号化)を使ったサービスの導入が進められているわけです。2013年に設立された非営利組織、Open Whisper Systemsは、end to end暗号による通信が可能なメッセンジャーアプリSignalを提供しています。暗号化されたメッセージ交換や通話が可能とされている。ゆえに、大統領候補だったヒラリー・クリントン陣営では、Signalの利用が推奨されていました。

Signalを以前から厳格に利用していれば、問題となる情報流出は防止できたのかもしれないのです。その意味では、トランプが主張するように万全の防御を怠った側にも非があるといえると思います。

第三に、クリントン陣営の不正や不適切な活動自体が行われていた事実を暴露することに問題はないのかについて、しっかりした議論が展開されていないように思えます。情報入手に違法性があったとしても、場合によっては、その情報を公開することにはなんの問題もないのではないかと思われるのです。もちろん、その入手方法の違法性は別途問われるべきでしょうが、そうして得た情報の公開が100%違法であるとは言えないと思います。

このようにみてくると、「ロシアに厳しくないトランプはけしからん」というのはあまりにも皮相な議論といえるでしょう。

こうした米国のマスメディアの論調を受けて、日本のマスメディアも同じような論調をとっています。18日に各新聞社は社説でこの会談を取り上げていますが、ことの本質を理解したうえで「正論」をのべているところはありません。

もっともひどいのは産経新聞

なかでももっともひどい社説が産経新聞のものです。「ロシアは、ウクライナのクリミア半島を武力で併合し、サイバー攻撃で米欧への選挙干渉を繰り返している」という指摘はそもそも間違っています。ウクライナ危機は、米国政府がウクライナの民主的に選挙で選ばれたヤヌコヴィッチ大統領を武力で追い落とすクーデターを煽動したところに起きました。この基本がわかっていません(拙著『ウクライナ・ゲート』や『ウクライナ2.0』くらいは熟読してほしいものです)。米国政府がこれまで露骨に繰り返し世界中で行ってきた選挙干渉についてはどう落とし前をつけたのかという点についての熟慮がありません。

読売新聞の社説では、プーチンについて、「クリミア併合は合法だとの持論を展開し、「ロシアにとって終わった問題だ」と言い放った」と、反プーチンの姿勢を示している。クリントン米大統領がコソボについてほぼ同じようなことを行ったことを知ったうえで、こうした皮相な社説を書いているのでしょうか。

自由貿易と民主主義のどちらを選ぶか

少なくとも日本の新聞社の社説を読んでも、世界全体の潮流を見据えた冷徹な分析はわかりません。その結果、読者はディスインフォメーションに騙されやすくなります。なにしろ、模範的な論調や標準的議論が不在なために、情報操作が簡単になってしまうのです。

わたしのみたてをわかりやすく概説すると、2016年末から自由貿易の重要性を標榜するようになった中国はいまや自由貿易で世界をリードしようとしています。これに対して、トランプ政権は自由貿易を拒絶する一方で、民主主義擁護の錦の御旗も降ろしてしまったようにみえます。中国は民主主義を警戒しており、むしろ抑圧しています。ロシアは民主主義をかたちばかり受けいれただけであり、貿易については、中国と同様に政府管理を前提とする「国家資本主義」のもとでの自由貿易であれば許容できるとみなしているように思われます。

この簡単な図式を前提にすると、もはや中国が世界覇権を握りつつあるとはっきり意識しなければならないことに気づくでしょう。米ロ首脳会談も中国という覇権を握りつつある国の政府の出方やそれへの影響という観点から論評しなければならないはずです。しかし残念ながら、こうした視点にたった見解が日本の社説には見られません。

トランプ大統領の近視眼的短期指向にはあきれるばかりですが、日本のジャーナリズムの同じ傾向にあきれるばかりです。警鐘を鳴らしておきたいと思います。

してやられた米国

わたしが論評するとすれば、「してやられた米国」のバカさ加減という点を論点とするでしょう。サイバー空間についてよく知っている者が少ないせいか、日本では米国政府の「のろまさ」を明確に指摘する論者が少ないように思います。もっとも、欧米のマスメディアの論調も似たようなお粗末なものですが。

まず検討すべきは、2016年に米民主党の依頼を受けて調査された報告書である、①サイバーセキュリティ会社、クラウドストライク(CrowdStrike)社の報告、②元英国諜報機関員のクリストファー・スティールの作成したスティール文書です。これらを受けて、2016年12月29日、は国土安全保障省(DHS)と連邦調査局(FBI)は共同分析結果を公表しました。ロシアを表す「グリズリー」と草原地帯を示す「ステップ」を合わせた「グリズリー・ステップ:ロシアの悪意あるサイバー活動」というタイトルの報告書です。2015年夏に民主党へのサイバー攻撃を実施したのはAdvanced Persistent Threat (APT) 29という第一グループであると指摘されています。第二グループは2016年春にかかわったAPT28です。前者は最初のCrowdStrike報告のなかで実行グループとして名指したCozy BearとFancy Bearにそれぞれ対応しています。

「グリズリー・ステップ」報告では、APT29(Cozy Bear)は米国政府内の職員を含む1000人以上に「悪意のあるリンク」を含むメールを送りつけるという手口で民主党全国委員会のサイトに入り込むことに成功し、民主党内のメールを盗み出したと指摘しています。APT28(Fancy Bear)は自らの運営するインフラにホストした嘘のウェブメール・ドメインを通じてパスワードの変更を求める依頼をする手口で認証番号を盗み出し、アクセス権を得てその内容を盗むものでした。この報告書の要旨(13ページ分)では確認できませんが、APT29がFSB、APT28がGRUとつながりがあると本文では指摘しているようです。

なお、本当はサイバー攻撃をしている当事者を特定することは難しい作業です。インターネット上の住所にあたるIP-addressがロシアのYotaとかRostelecomといったオペレーターのものであるという理由だけではロシア側の攻撃者を特定することはできません。ただ、Cozy Bearについては、オランダの諜報機関であるAIVDが2014年はじめにこのグループのネットワークへのアクセスに成功し、このグループがモスクワの赤の広場近くの大学の建物を根城にしていることまで突き止めたといわれています。ここまでの捜査が事実であれば、ロシア側の関与はほぼ確実といえるでしょう。

問題は、こんなに早い段階から、ロシア政府ないしロシア関係組織のサイバー攻撃を認識していながら、まんまとその攻撃を許しつづけた側にもあるのではないでしょうか。もちろん、サイバー攻撃を仕掛ける側が第一義的には非難されるべきですが、欧米の諜報機関はそれを「野放し」にしてきたのではないかという疑念が生じます。

Fancy Bearについても、2016年の9月の段階で、アンチドーピング機構は、Fancy Bearが不法にアンチダンピング管理・マネジメント・システムへのアクセス権を入手していたことを認めています。つまり、ロシア側が複数のハッカー集団を使って2016年に積極的な攻撃をしかけていたことを西側の諜報機関は確実に把握していたはずなのです。それにもかかわらず、こうしたロシア側の攻撃を容認・看過するかのように対応をどうして諜報機関はとったのでしょうか。こちらの問題もロシア側の攻撃と同じように大問題だと思うのですが、この点についての議論・批判はほとんど聞かれません。

本当に困った事態が起きているのですよ、本当は。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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