NOTEをスタート
比較的うまく検索エンジンに引っかかるNOTEを7月14日から開始した。とりあえず、「知られざる地政学」の連載のごく一部をアップロードしてみた。写真やグラフは面倒なので、適当に放置してある。
問題は知ってもらうこと!
本屋に出向いて、偶然に優れた本に出合うという経験をする人が極端に減っている現在、自分の書いた本の存在自体を知ってもらうところからはじめなければならない。このため、NOTEにも参加することにしたわけである。
たとえば、こんな経験がある。私を評価してくれた進藤榮一は偶然、『ウクライナ3.0』を読む機会を得た。といっても、刊行から1年以上経ってからのことだった。内容を気にいった彼は、しばらく鞄に入れて熟読したという。
この出来事からわかるのは、国際政治学者でさえ優れた本の存在をなかなか知ることができないということだ。何しろ、オールドメディアに批判的な私の本に対する書評がオールドメディアに掲載されることはまずないから、書評を読んで本の存在を知ってもらうというのはなかなか難しい。
もうこうなると、ひとり一人の善意にすがるしかない。
おとなしくできない性分
もう10年以上前、友人から、他者を厳しく糾弾するのは控えたほうがいいとアドバイスを受けたことがある。佐藤聖からの忠告であったが、私はそれを無視してきた。理由は簡単だ。明確に言わなければ、わからない人がきわめて多いからだ。
以前、大学生に時事問題について、「だれの意見を注目しているのか」と尋ねたことがある。佐藤優が多かったように記憶している。それを知って、愕然としたことを覚えている。「インチキ野郎」の発言を知っても、悪影響を受けるだけではないか。
だれがなぜアホでマヌケでバカなのかを明確に教えてあげないと、若い人々はなかなか理解できないようなのである。ゆえに、ともかくも自分で読んでもらうことが必要になる。そして、比較することが求められる。
私は大学で、比較によって考えの深化を促し、作文によって、考えるための回路をつくるように励ました。残念ながら、AIによって、このいずれもが浸蝕されようとしている。それでも、まともな頭脳をもつ人であれば、少しずつ、だれが優れているかについて理解してくれるだろう。
そのためには、ともかくも知ってもらうことだ。



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