「億万長者ピーター・ティールの個人講義の内幕:「反キリスト」と米国滅亡の警告」

10月10日付の「ワシントンポスト」は、「億万長者ピーター・ティールの個人講義の内幕:「反キリスト」と米国滅亡の警告」という興味深い記事を公表した。ティールと言えば、柳澤田実が「億万長者ピーター・ティールがかきたてる期待と疑い──競争のない世界へ」というおもしろい論考を公開している。

まずは、後者の論考の最初の段落を紹介しよう。

「競争という根本的な条件を前提としつつ、競争から脱する方法。この方法を時代に即した仕方で示し、大きなインパクトを与えたのが、2014年に刊行されたピーター・ティールの『Zero to One』(Random House)だった。ティールの主張は至ってシンプルで「競争するな、独占しろ」である。幼少期にドイツからアメリカに移住したティールは、中学時代から数学の能力に秀で、高校時代には総代になったほどの秀才だった。スタンフォード大学で哲学の学士号、法科大学院で法務博士号を修めた。その後、法律事務所で研修をした後に、アメリカ合衆国最高裁判所の法務事務官の試験を受けるが、面接で不合格となる。その挫折の経験から、彼は自分がエリートになるためにかけてきた広範囲に渡る教育投資とその報われなさ、またその原因となっている不毛な競争に気づいたとティールは回想する。その後、法曹としての競争においてトップの地位である最高裁の事務官の試験に落ち、8カ月NYで弁護士の仕事をした後、ティールは、シリコンバレーにビジネスチャンスを見出す。そして、よく知られているように、彼はPayPalを起業し、大成功を収めた。」

さらに、興味深い段落として、つぎのような記述がある。

「ティールの上述の独占(Monopoly)思想は、スタンフォード大学哲学科時代の指導教員であるフランス人人類学者、ルネ・ジラールの模倣理論に基づいている。ティールとジラールの関係に触れた記事では、Esoteric(秘教的な、難解な)という形容詞がジラールの哲学を修飾しているが、ジラールの主張それ自体はティールと同じくらい、シンプルで明快だ。古代の神話から近代文学に至る膨大なテキストを、人類学的視点で分析してきたジラールの結論は、人間は他者を自らの分身として模倣する傾向を持ち、さまざまな暴力はこの模倣欲求から生じるというものだった。つまり、模倣欲求は、一方で、模倣する相手への嫉妬心を生み、模倣対象を破壊させようとする。また他方で、模倣欲求からは競争や闘争が生じ、そのストレスを解消するために、共同体で弱いものが「犠牲」として集団的な暴力の被害者になるという悲劇的な事態が生じる。ジラールは、後者を「基礎作りの暴力」と呼んでおり、例えばローマ帝国の建国神話の双子、レムスがロムルスに殺されるといった事例を挙げている。暴力に基礎づけられた共同体は、競争と犠牲という形で、暴力を行使し続ける共同体になる。事実、私たちの社会の至る所で模倣の暴力が駆動しており、集団間同士の戦争も一向になくならない。加えて、20世紀以降の核兵器に代表されるように、私たち人間は平和な状態さえ、暴力による抑止力によって、つまり暴力を前提に実現しようとしてきた。」

 

「反キリスト」

察しのいい人は気づいたと思うが、ここにジラール、ティール、そしてJ・D・ヴァンスへと連なる系譜がある。たとえば、「知られざる地政学」連載(48)「地政学のための思想分析:J・D・ヴァンスを理解するためのルネ・ジラール、カール・シュミット考」()や本サイトの「深く考えるということ:J・D・ヴァンスに刺激されてルネ・ジラールとカール・シュミットについて考察した」を読み直してもらいたい。

最初に紹介したWPの記事によると、ティールは最近、キリスト教に関する個人的な講義で、スウェーデンの活動家グレタ・トゥンベルグやテクノロジーや人工知能(AI)の批判者は「反キリスト教の軍団」であると警告し、シリコンバレーに対する政府の監視を黙示録的な未来に結びつけたという。

9月から10月6日にかけてサンフランシスコのコモンウェルス・クラブで開催された4回、およそ2時間の講演で、ティールは、「オフレコ」にするよう指示された満席の聴衆を前に、自身の宗教的見解を披露した。録音によれば、彼は、技術開発の制限を提案する人々はビジネスを妨げるだけでなく、米国の破壊と世界的な全体主義支配の時代を到来させる恐れがあると主張した、と書かれている。

「21世紀の反キリストは、すべての科学を止めようとするラッダイトだ。それは、グレタやエリエゼルのような人物だ」と彼は話したらしい。エリエゼルとは、AIに対するテック業界のアプローチを批判する著名なエリエゼル・ユドコフスキーのことを指している。

 

グレタについて

グレタについては、2019年9月23日の国連「気候行動サミット2019」の前に国連の場で世界全体に大人たちの認識の甘さを非難すると同時に一刻も早い行動を迫った、スウェーデン生まれの16歳の少女、環境活動家グレタ・トゥーンベリとして記憶にとどめている人が多いだろう。

この少女の切実な訴えを聞いて、あなたはなにを思っただろうか。“How dare you!”( 「よくもそんな風でいられるわね」)と彼女が叫ぶとき、彼女の激しい怒りに心が揺さぶられたかもしれない。だからこそ、たとえば、朝日新聞オピニオン編集部次長の山口智久は「国連で怒ったスウェーデンの少女グレタの思い」を論座のサイトにアップロードしている。読者もこれを読めば、グレタがどんな少女で、どのような経緯で国連の場までやってきたかがわかるだろう。

しかし私からみると、この記事を読んでも、そこでの思考はダニエル・カーネマンのいう「システム1」にとどまっているように思われる。「信じたいことを裏づけようとするバイアスがある」(確証バイアス)や、「感情的な印象ですべてを評価しようとする」(ハロー効果)などが複合的に働いた「安易な思考」のように感じられるのである。

 

「システム2」思考をせよ

もちろん、私自身、こうした「システム1」の思考を避けては通れない。しかし、「システム2」のレベルまで思考を高めるべく意図的に努力しようと心掛けている。どういうことか。

グレタの懸命な声に心を動かされたうえで、「イデオロギー的闘争における子ども利用は全体主義イデオロギーの古典的サインである」という記事を書いた人物がいる。ロシア語の新聞『ノーヴァヤ・ガゼータ』の記者、ユーリヤ・ラティニナである。過去に二、三度、モスクワで彼女と話したこともある。ロシアでもっとも優れたジャーナリストであると、私が評価している人物だ。この記事(2019年No. 108)は「システム2」にまで思考が到達しえた、きわめて優れた内容になっていると、私には思われる。

ラティニナは、修道士ジローラモ・サヴォナローラを思い出すように指摘している。これだけで、ピンとくる人はそこそこの教養人だろう。詳しくは、「世紀末のフィレンツェはサヴォナローラの支配下に…ボッティチェリにも影響!」を読んでほしい。要するに、彼は厳格な神権政治をフィレンツェで実現するように要求するようになり、暗にメディチ家の贅沢三昧や乱れた風紀を糾弾する。その際、彼が利用したのがフィレンツェに住む十代の若者たちであった。彼らは富豪の家の門を打ち壊し、通行人から贅沢な宝石を略奪したり、さらには、虚栄の焼却の篝火(bonfire of vanity)を行うまでになる。この篝火はかつら、付け髭、鏡と香水、衣服や装身具、貴婦人の胸像や肖像画などの世俗的に人を惑わし虚栄心に満ちた品々を燃やした。こうしてサヴォナローラは権力基盤を固めていったのである。

スターリンは、12歳から16歳くらいの少年少女が彼らの両親に対するスパイとなることが全体主義国家にいかに役立つかに熟知していたと、ラティニナは指摘している。それは、毛沢東が紅衛兵を利用したことにつながっている。毛沢東は1966年5月、清華大学附属中学(日本の高等学校相当)の学生からなる紅衛兵を組織化し、それが北京地質学院附属中学、北京大学付属中学などへ広がったのだ。

こうした過去の歴史を知っていれば、グレタの活動の背後に彼女の想いだけではない別の要素をかぎ取ることもできるかもしれない。少なくともその可能性について慎重に見極める姿勢が求められる。ラティニナは、「社会を単一の考えに強制するために子どもを利用するのは全体主義的イデオロギーの古典的サインである」と明確にのべている。ラティニナは、全体主義のイデオロギーがたとえば科学的共産主義のように、それ自体科学を装ってきたことに注意を向けている。彼女によれば、階級としてのプロレタリアートが消失して以降、世界全体の左翼は近代的な西側のポスト産業文明のすべての成果に永久闘争を挑める新しい利害集団を探しつづけてきたのであり、その例がイスラーム諸国からの移民なのであり、白人男性が抑圧する女性であり、そしてもう一つの利害集団として見出されたのが少年少女たちということになる。

もちろん、このラティニナな論評がどこまで正しいかをめぐってはさらなる「システム2」に基づく検討が必要だろう。ただ、ここでいいたいのは、少なくともラティニナの思考が「システム2」において機能しているということだ。私が求めるのは、こうした「深い思考」により多くの人々が接して、自分でも「システム2」思考ができるようになってほしいということなのだ。

 

というわけで、今度はユドコフスキーが問題になる。しかし、もう時間がない。「Why superhuman AI would kill us all」(超人的AIはなぜ我々を殺すのか)を副題にもつ本を出版した人物だが、そのうち別の機会に論評しよう。

なお、WPには、スウェーデンの哲学者ニック・ボストロムも登場する。ティールが批判したというのだ。こちらも、別の機会に取り上げる。

いずれにしても、いろいろとやらなければならないことがあり、忙しい。

 

 

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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