「ふしぎな賄賂」をめぐって

「ふしぎな賄賂」をめぐって

 

「ふしぎな賄賂」という大学での授業に関連して、いくつかの書物を取り上げたい。まずは、新谷尚紀著『なぜ日本人は賽銭を投げるのか:民族信仰を読み解く』(文春新書、2003年)を取り上げたい。

賽銭は「神への贈与」のようにみえる。あるいは、神を買収しているようにも思える。新谷説では、穢れを払う、厄払いのためにカネが使われていることになる。「神社で賽銭を投げるのも、同じようにきれいな清水の湧く泉にお金を投げ込むのも、厄年の人が厄払いのためにお金を撒くのも、ケガレを放ち捨てて祓へ清めているのだということになる」と指摘している(207頁)。このため、「貨幣はケガレの吸引装置である、磁石のようにケガレを吸い付ける道具である」という。

これは、「神社とはケガレの吸引浄化装置である」という主張につながる。さらに、新谷は、つぎのように敷衍している。

「この神のもつケガレの吸引浄化という基本的属性は、広くキリスト教世界においても不変化できるものである。アダムとイヴの子孫として原罪を背負う人間が、犯した、あるいは犯すであろうすべての罪を一身に背負って十字架に架けられたのがイエス・キリストであるという。そこにも、ケガレ(穢れ)の吸引浄化装置としてのカミ(神)の姿が語られているのである。」(208頁)

新谷は、「神社=ケガレの吸引浄化装置」、「貨幣=ケガレの吸引装置」と主張している。他方で、「貨幣=死(ケガレ)」であるとして、「貨幣にはケガレ(死)がいっぱい詰まっているのである」という(209頁)。

梅原猛著『水底の歌』は、非業の死を遂げた者の魂を鎮める役割を神社が負ってきたことと、柿本人麻呂神社の存在とを結びつけ、人麻呂が非業の死を遂げたことを主張する興味深い本である。関心のある者はぜひ読んでほしい。

 

ゲーテ著『ファウスト』

貨幣について考えたいのなら、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがファウスト伝説をもとに、60年ほどをかけて19世紀に書き上げた『ファウスト』をぜひ読んでほしい。

ハンス・クリストフ・ビンスヴァンガー著『金と魔術:「ファウスト」と近代経済』を読めば、16世紀にヨーロッパで広がったファウスト伝説において、ファウストが「黒い魔術」たる錬金術を熟知していたことがわかる(Binswanger, 1985=1992)。あるいはウィリアム・シェイクスピアは、「アテネのタイモン」において、金貨さえあればなんでもできるという金貨の魔術をタイモンに呪わせている。

実に興味深いのは悪魔の霊、メフィストテレスと契約したファウストは地下に埋蔵されている金銀を「担保」に新しい紙幣を発行させることに成功したという内容だ。そう、兌換紙幣の発行によって「見えない金」としての紙幣をつくるという、近代国家が行った錬金術の正体を暴き出したのである。紙幣をみても、それに霊性を感じなくなった近代人は賄賂についてもその見方を変貌させる。賄賂は貴重品、金、銀などから紙幣へと変化したのだから。といっても、これは必ずしも正確な表現ではない。フェルナン・ブローデル著『物質文明・経済・資本主義:15世紀-18世紀』(Ⅰ-2 日常性の構造2)によれば、バビロンでは、紀元前20世紀に紙幣や小切手がやり取りされていたし、イスラーム圏の商人は為替手形・約束手形・信用状・紙幣・小切手を利用しており、中国では9世紀には紙幣が使用されていた。つまり、西洋は「往昔の証券を再発見した」のであり、17世紀になって紙幣の利用が急速に広まったのである(Braudel, 1979=1985, pp. 199-200)。

その普及のために重要な役割を果たしたのが、国家が固定レートでの紙幣の正金への交換を保証する銀行(バンク・ジェネラール)の設立であった。18世紀にフランスの財務総監となったジョン・ローの提言をルイ15世の摂政だったオルレアン公が実施したものだ。といっても、戦費を踏み倒してきた国家に対する信用は凋落していたから、国家は紙幣の使用を強制した。税金を紙幣で支払うよう義務づけたのである。もちろん、裏づけがなければ、紙幣は普及しないから、オルレアン公は既存の金貨と銀貨の無効を宣言し、回収する一方、紙幣を上記の銀行にもっていけば含有率を低くした新しい金貨に交換できることにした。こうすることで、紙幣への信用力を高めて紙幣の流通を促す一方、悪貨を流通させることにも成功したことになる。

これは、賭博師だったジョン・ローが賭博から学んだ理論であったことが知られている。賭博場では、金貨をチップに代えて使用するが、そのチップは賭博場だけしか通用しない。儲けた分のチップを前のレートと同じ比率で金貨に代えても、賭博の勝ち負けが決まる一定の確率分だけ利益を胴元が確保することができる。これと同じように、金貨を紙幣に代えて、流通させれば、紙幣を金貨に代えようとする人は交換紙幣のわずかな割合でしかないから、胴元たる国家は利益を確実に確保できる。それどころか、紙幣発行にかかるコストは金貨よりもずっと低いから、その利益は膨大になる。まさに、ゲーテがファウストで描いた錬金術的世界が18世紀に実現したのである。

そればかりか、ローは「ミシシッピ計画」という国家プロジェクトをオレンジ公に実施させた。アメリカの占領地との植民地貿易を行う会社に株式を発行させ、その株の購入は国債しかできないことにする一方、株式は高配当を売り物にした。こうすることで、国民は国債を株式に交換した。この結果、国は国債の消却により元利払いをする必要がなくなる。結局、高配当は保証されておらず、株式をもっていても配当が得られなくなれば、単なる紙屑になってしまう。

 

岩井克人著『ヴェニスの商人の資本論』

最後に、岩井の書いた『ヴェニスの商人の資本論』を推薦しておこう。大学生をやっているのなら、この本くらいはぜひとも読んでほしい。まあ、知性とか教養とかいったものを身につけることにどれほどの価値があるかは知らないが、貨幣のことを戯曲「ヴェニスの商人」を通じて理解するのはなかなか興味深いものだ。

シェークスピアに慣れたら、「尺には尺を」(Measure for Measure)を読んでほしい。「賄賂」について考えさせるからである。

この戯曲では、婚前交渉で恋人を妊娠させ、死刑を言い渡された若い貴族クローディオの妹、イザベラが死刑の取り消しを懇願する過程で、ウィーンの公爵が留守中の領主代理、アンジェロがイザベラに恋をし、自分と寝るならばクローディオを助けてもよいと持ちかける、という話が展開される。イザベラは拒否するのだが、ここに、神が自分の体を投げ出して人類の罪を悪魔から買い取ったとされる贖罪と、イザベラが身を任せて兄を救うこと(いわばbribe)とが比較されているのだ。ともに、互酬的な関係をもたらすが、前者は「間違ったこと」ないし「悪」が犠牲によって赦されるのであり、死刑を言い渡した者を買収するために差し出された賄賂とは違う。救い(mercy)は慈悲深いことによって得られるのであって、賄賂では得られない。つまり、イエスによる贖罪と賄賂を使った買収とは決定的に異なっていることになる。ここに、贈収賄の罪深さが示されているのだ。こうして、同じ互酬のようにみえても、イエスの贖罪と贈収賄との差が際立ち、それが贈収賄を刑罰の対象とする視角をより確固たるものにする。

だからこそ、1618年にイギリスの大法官(民事裁判を行う大法官府裁判所において、国王が行使しうる特別の裁判権を行使)にまでのぼりつめていたフランシス・ベーコンは1621年、収賄で有罪に至ったのだ。なお、ベーコンのライバルだったのがエドワード・コークである。彼は、イギリスの伝統と思われていたコモンローの優位を公言、コモンローを制限し、国王大権裁判所に対するコモンロー裁判所の優位を確立しようとしたジェームス1世と対立、1616年には王座裁判所長官の座を解任された。だが、国王大権裁判所は清教徒革命後、廃止された。

1621年3月、裁判所委員会は裁判にためにベーコンに100ポンドを支払ったという者からの訴えを受け取って以降、3月19日から21日までの間に、議員らは9件について事情を徴取した。結局、ベーコンは4月、「自分が収賄(corruption)で有罪である」との告白を文書で送った。彼は訴えられていた28件について告白したが、判決を弱めることはあったかもしれないとしながらも、罪の軽減をしようとはしていないと主張した。当時はまだ訴訟当事者から金銭を受け取っても、収賄罪になるかどうかが必ずしも判然とはしていなかった。ベーコンが4万ポンドの罰金を科され、ロンドン塔に国王の望む限り入れられることになり、さらに公職追放になったことで、収賄罪が現実の刑罰として広く知られるようになった。実際には、ベーコンはすぐに釈放され、罰金も大幅に軽減された。もちろん、過去に収賄で絞首刑になった判事もいたが、ベーコン裁判の与えた影響は大きかったのである。

1600年から1770年ころのイタリアのフィレンツェの状況をみると、腐敗(corruzione)は今日よりもっと広範な意味をもち、判事の誤った行為ない役人による詐欺だけでなく、道徳の堕落、人間本姓の弱さ、罪の現われのような意味をもっていた。1682年には、フィレンツェの元老院の命令で、役人へのすべての贈り物が不法となり、役人に鹿肉を土産として渡すことも禁止された。判事は判決後においても、いかなる贈り物も拒絶しなければならなくなった。だが、実際には、行政官は家族からの贈り物を受け取ることができたし、判事は「特別の仕事」と引き換えに贈り物を手にすることができたから、規制は必ずしも有効ではなかった。このため、1665年から1690年の間に、再び司教による厳しい批判が現れた。このように、役人、判事といった特定の人物との互酬関係だけを禁止しようとしても、人間本姓の弱さからなのか、そうした規制はうまくゆかなかった。これは、「公」と「私」といった区分が明確になるにしても、その峻別が難しい分野が残り、そこに互酬性を秘密裏に温存することで、逆に、共同体のバランスをはかろうとしてきた、人間世界の実態を示している。

ここで重要なのは、個人および共同体を道徳的かつ精神的に立て直そうとした新ストア哲学である。1589年にネーデルランドのユストゥフ・リプシウスによって『政治学』が出版され、文献学者であった彼はギリシャやローマの古典からストア派的思想を復活させたのだ。彼は政治的叡知と軍事的叡智を区別した。前者は君主の教育、新しい官僚などの領域にかかわり、後者においては、募兵の際の選抜と訓練の規律が重視されている。リプシウスの思想は、その後、国家による統治のため論に転化していくのだが、これを国家ではなく「共感」に基づく「監視と規律」によって共同体の維持に結びつけようとしたのがアダム・スミスであったと考えられる。国家も共同体の一種だから、両者の混同が生じやすい。そこに、人類の不幸が潜んでいる。

「21世紀龍馬」たるもの、この程度の知識は頭のどこかにしっかりと刻んでおいてほしい。そして、21世紀のいま、ストイシズムが見直されつつあることを知ってほしい。あのシリコン・ヴァレイでストイシズムが流行っているのだ。2018年に設立されたキケロ研究所(https://www.ciceroinstitute.org/)にアクセスして、公的問題についてストイシズムに関連づけて考察するといった運動にも注目してもらいたい。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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