Nature Metabolism に掲載された興味深い論文:後天的形質の遺伝

しばらく科学論文について書いていなかった。そこで、「メデューサ」に公表された記事を参考に、興味深い論文の話を紹介したい。

それは、Nature Metabolismにおいて2025年4月に公表された論文「ヒトにおける褐色脂肪を介したエネルギー消費の受精前からの保存」という日本人研究者らによって著されたものである。この短い解説を日本語で読むことができる(「Natureasia」を参照)。

 

論文を理解するための基礎知識

「代謝:寒い季節の妊娠で生まれた人は褐色脂肪組織の活動が活発になるかもしれない」と題された、その解説によると、寒い季節の妊娠で生まれた人は、暖かい季節の妊娠で生まれた人に比べて、褐色脂肪組織の活動が活発で、エネルギー消費量が多く、BMI(body mass index)が低く、内臓周辺の脂肪蓄積が少ない傾向にあることを報告する論文であるという。

まず、論文を理解するためには、基礎知識が必要になる。それは、脂肪減少の主な指標となるのは食習慣と運動であるが、寒暖の影響も一因となるという点だ。気温が低いと、褐色脂肪組織の活動により体内でより多くの熱が生成され(寒冷誘導性熱産生)、白色脂肪組織の脂肪蓄積量が減少する。しかし、褐色脂肪組織の活動における個人差を生む根本的要因については、とくに人間においてはまだ十分に解明されていない。

この褐色脂肪は脂肪組織の一種で、ミトコンドリアが多いのが特徴とされる。ミトコンドリアは通常、「細胞のエネルギーステーション」という表現と結びつけられている。つまり、この小器官で栄養素が燃焼され、万能のエネルギー通貨であるATP(アデノシン三リン酸、細胞の増殖、筋肉の収縮、植物の光合成、菌類の呼吸および酵母菌の発酵などの代謝過程にエネルギを供給するためにすべての生物が使用する化合物)を生産するためのエネルギーが供給され、それを細胞が自由に使うことができるということだ。しかし褐色脂肪では、ミトコンドリアはもうひとつ別の機能を果たしている。

普通の白色脂肪と同じように、褐色脂肪でもミトコンドリアは栄養素を燃やしてエネルギー電荷(文字通りの意味での電荷、つまり小器官の内膜表面の電気的な差)を得る。しかし褐色脂肪では、この電荷は無駄になってしまう。有益な仕事は行われず、得られたエネルギーは純粋な熱に変換されてしまうのだ。分子レベルではまったく無意味なこのプロセスは、生物全体のレベルでは非常に有用であることが判明した。多くの動物が寒さで震えることなく厳しい冷え込みに耐えられるのは、褐色脂肪の熱の生成のおかげなのである。

褐色脂肪は、常に鉄分を豊富に含むミトコンドリアが大量に存在するため、黒い色をしている。褐色脂肪と白色脂肪のほかに、中間脂肪であるベージュ脂肪も区別されるが、実際には、ある条件下では、すべてのタイプの脂肪組織がある脂肪組織から別の脂肪組織へと移行することができ、両者の間に厳密な境界線はない。

褐色脂肪もヒトに存在するが、その量は個人差が大きい。褐色脂肪は白色脂肪のように皮下層に沈着するのではなく、鎖骨周辺、背骨沿いなど胴体の内部に沈着する。鎖骨のあたり、背骨沿い、その他の胴体部分などである。

褐色脂肪の体積と発熱活性を測定するのは、脂肪組織の総体積を推定したり、肥満度を計算したりするよりもはるかに難しい。この目的のためには、造影放射性物質を投与するポジトロン断層撮影法が最もよく使われる。この方法は侵襲的であり、この種の研究のために多くのボランティアを集めることは困難であるため、組織研究はしばしばマウスに移される。それでも人体の特異性を分析する必要がある場合、科学者たちは褐色脂肪の熱発生能力を測定する間接的な方法に頼ることができる。

このような困難にもかかわらず、『ネイチャー・メタボリズム』誌に論文を発表した日本の研究グループは、非常に珍しい依存性を発見することができた。褐色脂肪の活性の増大と、それに関連するすべての利点(肥満傾向の低下など)は、人が両親から受け継ぐだけでなく、受胎時に窓の外にあった天候によって決まるようだというのである。

米代武司らは、日本で3歳から78歳の683人の健康な男女を対象に、褐色脂肪組織の密度、活動、および熱産生を分析した。これらの参加者の親は、受精と出生の期間中に寒い気温(研究では10月17日から4月15日と定義)または暑い気温(4月16日から10月16日)にさらされていた。寒い季節の妊娠で生まれた個体は、褐色脂肪組織の活性が高く、エネルギー消費量、熱産生、内臓脂肪の蓄積、および成人期のBMIが低いことが分かった。さらに詳しく言うと、米代らは、人間の子供における褐色脂肪組織の活性を決定する主な要因は、妊娠前の期間における日中の気温の変化が大きく、周囲温度が低いことであることを示している。

 

研究結果が興味深い理由

この研究結果が興味深いのは、両親の遺伝的特徴を受け継ぐのではなく、両親の生前の経験、つまり受胎前のある時期に直面した寒冷ストレスの経験を受け継ぐという点にある。「言い換えれば、科学者たちは文字通り、後天的形質の遺伝を発見したのである」、と先の「メデューサ」の記事は指摘している。

後天的形質の遺伝の理論は、18世紀から19世紀にかけてフランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルクによって進化の主要なメカニズムとして提唱された。ラマルクの考えによれば、キリンがそのエキゾチックな外見を獲得したのは、キリンの祖先が一生の間に木の葉に届くように積極的に首を伸ばしたからであり、その子供たちはこのようにして獲得した変形を受け継ぎ、世代を重ねるごとに長くなっていった。

だが、その後、チャールズ・ダーウィンとグレゴール・メンデルが、ラマルクのメカニズムに反論し、後天的に獲得した形質を受け継ぐことなく種が変化する仕組みを正確に説明した。つまり、ラマルク説は否定され、20世紀の大半の間、ラマルクの経験遺伝に訴えることは疑似科学であることを示すものとされてきた。

 

ルイセンコ説

ここで、紹介したいのは、ウクライナにあるポルタヴァ州で誕生したトロフィム・ルイセンコのことである。拙著『知られざる地政学』〈上巻〉の34~45頁において、第一節「トロフィム・ルイセンコによる生物学の破壊」において、ルイセンコについて否定的に紹介したことがある。彼は、秋撒き小麦の種子を湿らせて冷蔵しておくと春撒き小麦になること(春化)から、それを、厳しい「環境」によって秋撒き小麦が春撒き小麦の形質を獲得したとしたのである。

私はまったく知らなかったのだが、「ここ数十年の間に、ラマルクが説明したことと似たようなことが、エキゾチックな例外としてではあるが、現実に可能である場合があることが明らかになってきた」、と「メデューサ」の記事は書いている(だからこそ、自分の無知を反省するために、この記事を書くことにしたのである)。

 

「エピジェネティクス」が教えてくれること

これは、DNAの塩基配列自体は変化しないのに、遺伝子の発現を制御するしくみである、「エピジェネティクス」に密接に関係している。この分野の出現は、発生生物学の成功に関連している。発生生物学の主な仕事は、多細胞生物の細胞がほとんど同じゲノムを持っているにもかかわらず、なぜ互いにこれほどまでに異なるのかを説明することである。たとえば、同一人物の神経細胞と脂肪細胞のDNAの違いを見つけるには、ゲノム全体を読むのに苦労し、さらに分裂の過程で必然的に獲得される個々の稀な突然変異を探すのに長い時間をかけなければならない。しかし、神経細胞と脂肪細胞は、第一印象が正反対になるくらい違って見える。両者に共通点があるとはまったく想像できない。

胚発生の過程で、さまざまな細胞がDNAの塩基配列を変えることなく、DNAのテキストと平行して何らかのコメントを導入する追加情報を互いに伝達し合っていることが明らかになってきた。これらのコメントは、「ゲノムのこの部分は読む必要がない、神経細胞では活性がない」、「この遺伝子は毎分コピーしている、ここにはより多くの転写装置を関与させる必要がある」というようなことを述べているのだという。

DNAにどのようなコメントがつけられるかによって、その遺伝子の活性や異なる細胞のアイデンティティが変化する。このようなコメントの物理的基盤は非常に異なることがある。たとえば、DNAが細胞核(ヌクレオソーム)に巻かれている 「コイル 」に印をつける化学標識の形で存在することもある。エピジェネティックな注釈のもう一つのバリエーションは、DNAの「化学修飾」である。DNAの塩基配列は変化しないが、遺伝子の活性化に関与するタンパク質にとってDNAの一部分が魅力的でなくなる。もう一つの選択肢は、細胞から細胞へとDNAと平行して受け継がれる特殊な低分子RNAの遺伝である。

これらのメカニズムはすべて、特殊化形質の細胞間遺伝の場合によく知られている。多細胞生物のそれぞれの親細胞は、ある遺伝子の活性に関するコメント一式を娘細胞に伝達する。実際、発生生物学のすべては、このコメント機構がどのように機能するかを理解することに費やされている。しかし、同じようなメカニズムであっても、世代から世代へと受け継がれるとなると、状況は変わってくる。

生殖細胞が成熟する過程で、後天的に獲得されたエピジェネティックなDNAマーカーはすべて細胞から徹底的に消去される。この消去は、すべての生殖細胞の前駆細胞で起こる特別なプロセスの責任である。長い間、このプロセスはほぼ完璧に機能するように思われ、「前世代のエコー」である性細胞が子孫に受け継がれることはなかった。しかし、生物学ではよくあることだが、この法則にはいくつかの重大な例外があった。まず動物や植物で発見され、次にヒトで発見されたのである。

 

新しい発見の数々

動物における世代間エピジェネティック遺伝の典型的な例は、マウスの色を茶色から赤色にするアグーチ突然変異の復帰である。マウスの母親に与えた餌によって、同じ(つまり同じ突然変異を持つ)動物であっても色が変わることが判明した。

母体の食事がDNAにそのような変化を与えることが示されており、卵子の成熟の間にその変化が完全に消去されるとは限らない。このようなエピジェネティックな遺伝の可能性を明確に証明した実験は、2003年まで行われなかった。それ以来、同様の動物実験が数多く行われている。そして、世代間エピジェネティック遺伝は、非常にまれであり、動物や植物の生存にとって最も重要なものではないものの、非常に現実的なものであることが確認された。このような遺伝は、親がかつて経験した様々な種類のストレスによって決定される量的な違いを、新しい世代が獲得するという事実で表現されることが多い。

人間の場合、推測するに、この種の微妙なメカニズムを研究し、その実態を証明するのは桁違いに難しい。「メデューサ」の記事には、このような遺伝のもっとも有名な例は、第二次世界大戦末期の飢饉を生き延びたオランダ人女性から生まれた子供たちのケースだろう、としている。

1944年10月から1945年5月まで、オランダの大部分はドイツの封鎖下にあった。食料の供給は完全に途絶え、オランダは深刻な飢饉に見舞われ、少なくとも2万人が死亡した。当時妊娠していた女性は、その後、(飢饉の前後に生まれた)兄弟姉妹と比べて、肥満、糖尿病、統合失調症、血中脂質異常のリスクが高い子供を出産した。一般的に、彼らの代謝はエネルギー節約に向いていたと言える。食べ物に不自由しない通常の状態では、飢餓に対する身体の適応はほとんど役に立たない。

2018年、科学者たちは、この形質(代謝における複数の変化)の獲得が、他の生物におけるエピジェネティック遺伝に伴う、変化しないDNA配列へのまさに「コメント」によって可能であることを示した。しかし、この場合、世代間遺伝はない。新しい生物は、父親や母親から「空腹の設定」を受け取るのではなく、胚発生の過程で自ら「空腹の設定」を獲得したのであるという。

 

興味深い後天的形質遺伝

日本の遺伝学者たちの新しい研究は、エピジェネティクスによるヒトの「代謝調整」の研究を引き継いでいる。寒冷ストレスと褐色脂肪の活性はエネルギー消費に関係しており、低体温を避けることができる。このように記述したうえで、「メデューサ」の記事は、「新しい論文で得られた結果は、まったく予期していなかったわけではない」と指摘している。2018年にスイス・チューリッヒ工科大学の生物学者グループによって、非常によく似た観察結果が指摘されたが、彼らはヒトではなくマウスにおける同様の遺伝の研究に焦点を当てていたというのである。

その後、著者らは寒い季節に妊娠した人の褐色脂肪の含有量が増加していることを発見することにも成功したが、ヒトを対象とした詳細な研究は行わず、ボランティアにおける褐色脂肪の活動が妊娠時の気象条件とどのように異なるのか、どのように関連するのかを研究しなかった。その代わりに、著者らはマウスを使った同様のプロセスの研究に切り替えた。科学者たちはすぐに、寒冷耐性はDNAのエピジェネティックなマーカー(メチル化)を通して確かに遺伝し、子孫の代謝の性質を決定する主な役割は母親ではなく父親が担っていることを発見したという。

ヒトでも同じメカニズムが保たれている可能性が高いが、これを明確に確認することはできない。スイスのグループも日本のグループも、寒さが被験者の父親と母親に及ぼす影響を分けることはできなかった。とはいえ、マウスを使った研究とヒトを使った2つの独立した研究を組み合わせると、後天的に獲得された形質がヒトに遺伝する可能性はまだあることがわかる、と「メデューサ」の記事は記している。

寒冷地で妊娠した子供が、褐色脂肪の活動によるプラスの効果だけを受け継ぐのか、あるいは、あるものにおける「増加」が、褐色脂肪とは無関係な別のものにおける「減少」と組み合わさっているのかは、わかっていない。それでも、ラマルクやルイセンコの主張が少しだけだが、再評価されつつあると言えるだろう。

だが、私が検索エンジンを使って調べたところでは、残念ながら、こうした成果を幅広く紹介するような報道を見つけることはできなかった。自戒を込めて、もっと勉強しなければならないと書いておこう。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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