柄谷行人への手紙

柄谷行人様

 

謹啓。『私の謎 柄谷行人回想録』を読み、柄谷さんが「交換様式A」について熟考を重ねて「交換様式D」について考察しておられることを知りました。

 

そこで、僭越ながら、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』をお送りさせていただくことにしました。多少とも、ご考察の役に立てるのではないかと思ったからです。拙著において、「贈与と返礼」ないし「互酬性」について検討しています。「たぶん、いい線までいっている」と自負しています。

 

その昔、法政大学でインタビューをさせていただいて以来、柄谷さんのファンでありつづけている一人として、「向こうからやってくる」一員に加わり、柄谷さんに寄与できれば幸甚に存じます。

 

 

 

こんな内容の手紙とともに、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』を8月10日にでもお送りしようかな、と考えている。

 

あまり紹介すると、ネタバレになってしまうので、たぶん、柄谷さんが興味をひきそうな部分を紹介しておこう。

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  (1)ソクラテスと「腐敗」

 

 第六章では、「負の互酬性」を「腐敗」、「贖罪」、「刑罰」、「復讐」という面から分析してみたい。まずは、腐敗についてである。私は二〇一六年に『官僚の世界史』という本を上梓した。もともとは、「腐敗の世界史」として書かれていたものだが、出版社の要望でタイトルを変更して刊行したものだ。この本は英語で書いたAnti-Corruption Policies(Maruzen Planet, 2013)という本に基づいている。

 この英語を日本語訳してみると、つぎのような記述がある。

 

「英語の“corrupt”はラテン語の“corruptus”と同じように、悪のイメージを伴う道徳的意味合いを本来、有しているとされる。“corruptus”は“corrumpere”の過去分詞で、“cor-”は“altogether”を、“rumpere”は“to break”を意味している。「ともに破る」という規範からの逸脱行為をイメージしていることになる。おそらく腐敗は、道徳的な逸脱、あるいは法律違反といった「悪」に関連したものなのだろう。」

 

 そのうえで、注のなかで、つぎのように書いておいた。

 

「“腐敗”はギリシャ語で “pthora”と表現される。“pthora”は腐食、腐敗を意味する。この派生語である “diaphthora”もまた、“corruption”の訳語として使われてきた。その動詞は “diaphtheirein”である。ここで「腐敗」と訳している概念に近いイメージはソクラテスにもアリストテレスにもあったことになる(Mulgan, 2012, Saxonhouse, 2012)。ただし、当時、それは、「人の独立した判断や行動を破壊すること」を意味していた(Philp, 1997, p.442)。」

 

 重要なのは、“corruption”という概念のもととなったギリシャ語が「堕落させる」といった「負のイメージ」と関連づけられていたことである。別言すれば、道徳的な逸脱といった反社会的行動を促すような行為に対する嫌悪が本来、この言葉には宿っていたことになる。

 

 ソクラテスの罪状

 こう理解すると、アテネの哲学者ソクラテスの死を「腐敗」と関連づけることができるようになる。というのは、ソクラテスが裁判にかけられた二つの罪状の一つに「腐敗」が関係しているからである。裁判の日に陪審員を無作為に抽選する名簿から選ばれた五〇一人の善良な市民が有罪としたのは、「不敬罪」(impiety)と「青少年堕落罪」(corrupting the young)であり、後者こそ「腐敗」の原義に関連したのだ。有罪後、その刑罰について死刑が宣告され、毒草ヘムロックの劇薬を飲んで自ら処刑することを求められる。ソクラテスは逃亡することもできたが、死刑を受けいれる。

 この出来事については、西洋思想の始祖が無知と偏見に満ちた市民によってでっち上げられた罪状に直面させられるという茶番劇とみなしたり、民主主義が暴徒支配に陥って腐敗していくかを示す事例として使われたりしてきた。ここでは、ソクラテスの裁判は茶番ではなく、法的に正当であり、彼は有罪であったと主張する、ケンブリッジ大学の古典学者ポール・カートリッジ教授の『古代ギリシャ政治思想の実践』(Ancient Greek Political Thought in Practice, Cambridge University Press, 2012)を参考にしながら、ソクラテス裁判をみてみよう。

 紀元前三九九年、ソクラテスは主任検事メレトスによって二つの罪状で裁判にかけられる。ソクラテスは、①ポリスが認めている神々を正当に認めず、また他の新しい神々を導入することによって、法を犯した(罪状1)、②若者を堕落させることによっても法律を破った(罪状2)――という二つの罪で告訴され、提案された刑罰は「死」であった(正確な数字は不明だが、五〇一人の陪審員のうち二八〇人ほどが起訴通りに「有罪」と投票した模様で、おそらく全部で三四〇人ほどが死刑判決に投票したと、カートリッジは書いている)。

 カートリッジは主として罪状1について論じている。だが、ここで注目したいのは罪状2のほうだ。「若者を堕落させる」ことが「若者を腐敗させる」というイメージで語られていたことに注目したいからである。カートリッジによれば、「若者を堕落させる」とは、ソクラテスが堕落した若者の教師であったことを示す婉曲的、暗示的な言い方であった。具体的には、裏切者として知られるアルキビアデスや、激しく反民主的な三〇人の暴君のリーダー、クリティアスをソクラテスが教えてきたからであった。ソクラテスが彼らに教えたから、彼らは裏切者だった、だからソクラテスは彼らに裏切者になれと教えた、という三段論法は論理的に間違っている。だが、陪審員にとっては、「不敬」で有罪かどうかを決めるより、堕落した若者を教育した罪を咎めるという判断のほうがずっと簡単であっただろう。

 

 「負のイメージ」としての「汚染」

 この「堕落」とか「腐敗」をイメージさせるギリシャ語(pthora)は後にcorruptioとラテン語化される(Richard Mulgan, Aristotle on Legality and Corruption, 2012)。マルガンによれば、プラトンもアリストテレスも、理想的な体制が賢明で高潔な支配者の結果としてもつ主要な特徴として、共通の利益のために統治されることを想定しおり、自分自身の利益のための統治をこの理想からの「逸脱」、すなわち「悪」とみなしていた。

 アリストテレスの場合には、とくに、国家統治の逸脱を防ぐために「法の支配」(rule of law)が重視されている。すべての法律は一般的であるため、ある程度公平であり、支配者の私利私欲を抑制することができるとみなし、全体として無法な支配よりも合法的な支配の方が優れていると考えている。特定のケースで決定を求められる一般人は、友情や憎しみの感情に流され、個人的な快楽や苦痛に目がくらむ可能性が高すぎると、『弁論術』(『レトリック』)のなかで、アリストテレスは指摘している。この議論は、「法とは欲望なき知性である」(『政治学』)という有名な警句に集約される。

 ここで重視されているのは、良い法律であれ悪い法律であれ、その範囲内で維持することは、利己的な支配者が自由に法律を無視することを許すよりも、より良く、より腐敗しにくいということである。そこで、こうした「堕落」、「逸脱」といった「負のイメージ」をどのように法に位置づけるかが問題となる。こうした「罪」に対する刑罰も課題となる。

 殺人や窃盗といった犯罪の場合、犯人を特定し、応分の刑罰を科すことは比較的簡単に法制化できる。だが、ソクラテスの「青少年堕落罪」といった罪を法律の文言にとどめるのは簡単なことではない。この罪は、いわば「汚染」ないし「公害」のようなものであり、ソクラテスの教えに感化された若者が出現したことに対して、その「汚染源」たるソクラテスの罪を問おうとしている。その際、そうした若者を「汚染」された「被害者」としていいのかが難題だ。裏切者とされるアルキビアデスやクリティアスだけを被害者とするのか、それとも不特定多数を対象にできるのか。「堕落させた」、「汚染させた」といっても、その意味は何か。加えて、被害者の損害・被害を特定し、それに見合った刑罰を科すことができるのか。

 『法の経済分析』などで知られるリチャード・ポズナー著「報復と関連する刑罰の概念」(Retribution and Related Concepts of Punishment)(https://www.public.asu.edu/~gasweete/crj524/readings-supplemental/02-23%201980-Posner%20(retribution%20and%20related%20concepts%20of%20punishment).pdf)のなかで、ポズナーは、①古代ギリシャでは、殺人者が街を汚染し、彼を追放するか殺さなければ、市民はペストなどの災難に見舞われた、②ソフォクレスの戯曲『オイディプス』では、オイディプスが父親を殺害した結果、テーベが汚染されたことが描かれている――といった事例を紹介している。ギリシャの思想では、殺人やその他の悪事もまた、その人の子孫を汚染するとされていた。たとえば、アイスキュロスの『アガメムノン』では、アトレウスの悪事が彼の子孫を何世代にもわたって汚染することが理解されている。

 こうした「負のイメージ」が蔓延するなかで、そのマイナスにどう落とし前をつけてプラス・マイナス・ゼロの均等化をはかるのかは大問題であったと想像される。そこで、問題になったのが刑罰の問題であり、復讐や報復であった。「負の互酬性」を実現するための制度化が問われることになる。

 

 「正の互酬」としての賄賂

 いずれにしても、腐敗という問題を歴史的に考察すれば、「負の互酬性」という側面からの分析が可能であったはずだ。拙著『官僚の世界史』では、人類が贈与と返礼の例外として、裁判官や軍人などが贈り物を受け取ることが「収賄」にあたるとの視線をもち、同時に、その贈り物を「賄賂」という言葉で言分けるようになるというところから、腐敗を分析した。

 この視線は国によって異なる「進化」を遂げる。中国のように、比較的早くから、こうした一段上の超越的立場に立つ者へ贈り物をすること自体も「悪」とみなし、「贈賄」として刑罰の対象とする視線をもつ国も現れる。これに対して、虐げられた立場にいることの多い者が超越者に贈り物をすることまでも罪とするようになるには、いわゆる「近代化」を待たなければならなかった国もたくさんあった。

 『官僚の世界史』で分析したのは、「賄賂」という対象のやり取りを「悪」とみなすようになった人間の視線の変化であった。あるいは、贈収賄という犯罪を罰するようになるメカニズムの成立過程であった。しかし、執筆した当時、この「賄賂」は贈収賄にかかわる人々の「利益」にかかわるものというくらいの認識しかなかった。いわば、「プラス」を前提とする利益の分かち合いという関係しか、そもそも考察対象となっていなかったことになる。この正の互酬性の逆方向の関係として、負の互酬性という関係が存在することをあまり考慮していなかったと白状しなければならない。だが、考えてみれば、「やられたら、やりかえす」という、損害をめぐる互酬性の関係もある。これもまた、人類が生まれながらに生得的に身につけていた知恵なのかもしれない。そのうえで、文化的な発展途上で、人類は負の互酬性についても一定のルールを定めるようになったと考えられる。

 

  (2)贖罪と「負の互酬性」

 

 歴史的にみると、贖罪という行為にも「負の互酬性」が関係している。贖罪とは、犠牲や代償をささげることによって罪過を償うという意味をもつ。それは、あるふるまいに対する反作用であり、「報い」という言葉を想起させる。刑罰も復讐も報いだが、後者はあるふるまいと同じ外面的な現れ方を重視する。まさに文字通りの「目には目、歯には歯」である。しかも、この反作用としての報いは個人的利益の追求の延長線上に位置づけられる。

 これに対して刑罰は罰する者が罰せられる者の上にたって、超越的立場から共同体の倫理や文化的精神に基づいてなされるようになる。その際、刑罰は、なした害悪のゆえにその者に科され、その者が被らなければならない罪悪なのだが、重大なのは、罰する者が形式と内容の点で責任を負うことのできる仕方で反作用としての害悪(刑罰)を科す仕組みを整えている点だ。

 他方で、負の互酬性とは、自分を陥れた者を傷つけるという人間の行為である(Daniel Friedman & Nirvikar Singh, Negative Reciprocity: The Coevolution of Memes and Genes [http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.365.3361&rep=rep1&type=pdf], 2003)。通常、この行為には強い怒りの感情が伴い、自分自身に多少の犠牲を払ってでも犯人を傷つけたいと思うようになる。わかりやすく言えば、「目には目、歯には歯」という応報主義的な刑罰こそ、被害というマイナスを刑罰という報復行為で癒すといった負の互酬性の典型例ということになる。負の互酬性は刑罰にも復讐にも関連している。

 

 「神強制」から「神奉仕」へ

 まず、贖罪という行為が意味することを、負の互酬性との関係において考えておきたい。エミール・デュルケームは『宗教生活の原初形態』において、「聖なる」禁忌としての「ネガティブな儀礼」(接触の禁止、断食など)と、「ポジティブな儀礼」を区別し、後者には、「悦ばしい祝祭」(交霊的・共餐的供犠、模擬的儀礼、記念的・再現的儀礼)と「悲しい祝祭」(贖罪的供犠)があるとしている。おそらく最初の供犠は「悲しい祝祭」として流血を伴ったものであっただろう。神々への恐れがあったからこそ、その恐れを除去するために人間の犠牲が強制されたのだ。

 ただし、この神の前に人間が拝跪して礼拝する「神奉仕」(Gottes‐dienst〉の段階の前には、マックス・ウェーバーのいう、人間が精霊に呼びかけてその加護を要求する「精霊強制」(Geistes‐zwang)ないし「神強制」(Gottes-zwang)という段階があったと思われる。専制的な国には、それぞれの神があり、しかも、それらの神はともに、人が贈与し祈願すれば、神は人の願いを聞かなければならないような存在にすぎなかった。神々は、王国や氏族ごとにそれらを守る「氏神様」のような存在であって戦闘で敗れれば棄てられるものであったのだ。ゆえに、複数いる神への風当たりは相当強かったことになる。

 たとえば、神の代弁をし、イスラエルの民を導くとされる預言者が神への贈り物に反対を表明するようになる。紀元前八世紀半ばになると、裁き人(士師)への贈り物も攻撃対象となる。イザヤ書一章二三の部分では、贈り物を受け取った裁き人を「反逆者」、「悪党の仲間」呼ばわりし、贈り物を貪欲に渇望する姿勢を指弾している。

 一神教としてのユダヤ教は、紀元前六世紀のバビロン捕囚前後に明確になった。ユダヤ教は唯一神ヤハウェのもとで、他の一切の神々を否定し、天地を創造した全知全能の神をおく。ヤハウェはもともと、善悪を抜きにして暴力をふるう「大自然災害の神」であって、イスラエルの人々はヤハウェにその無類の「力」を求めた。それを、政治的・軍事的必要から、新たな神に仕立て上げたのがモーセであった。戦争に勝利するための神ヤハウェが、バビロン捕囚を契機に、民族の結束を可能にする、共同体の規範を根拠づける道徳的で合理的な存在にまで格上げされたのだ。これは、マックス・ウェーバーのいう、人間が精霊に呼びかけてその加護を要求する「精霊強制」(Geistes‐zwang)という呪術を否定し、神の前に人間が拝跪して礼拝する「神奉仕」(Gottes‐dienst〉へと大きく舵をきったことを意味している。

 捕囚としてバビロンに連れていかれた人々の間で、戦争に敗れ国が滅んでも、神が棄てられず、逆に人間にその責任を問うような転倒が生じたのである。それは「精霊強制」ないし「神強制」(Gottes-zwang)の断念を意味している。そこには、もはやソロモン王の時代にあった、神と人間の「互酬的利他行動」(後述)はない。一方的な奉仕があるだけだ。ヤハウェの律法を守ってバビロンでの窮状を耐え忍べば、必ず輝かしい将来が待っている――と信じることで、人々はヤハウェに帰依したのだ。ヤハウェが絶対者となり、王はヤハウェの意思を体現する預言者によってしか戴冠できなくなる。しかも神と人間とを仲介する預言者は王の政治を批判する役割を担うようになる。

 「神奉仕」の段階になると、天変地異といった何らかの被害に遭遇した後に、供犠という贈与を通じて平穏という返礼を得ようとするようになる。その意味で、これは贈与と返礼という「正の互酬」に関連している。ここで注目に値するのは、神ないし神々が天変地異をもたらすという災禍があっても、人間はその神々に報復するのではなく、逆に供犠をささげるという贈与をすることで、平穏という返礼を期待することだ。とくに、一神教にあっては、神を捨てようとしても代わりは存在せず、ひたすら一神に帰依するしかない。その後、日々の平穏に感謝する儀礼の必要性も生まれるが、それは平穏という贈与に対する感謝という返礼を意味し、正の互酬性に属している。

 さらに、神による人間への働きを過去にみるのではなく、神に日常的に贈与することで将来の神の怒りを制御するという発想が生まれる。こうして、神意を過去にだけ見出すのではなく、神への贈与によって神から将来的な利益を得ようとする企みが芽生える(ギリシャの議会は子豚の屠殺の儀式で始まり、その血でプニュクスの丘の会議場は儀式的に清められていたという話を思い出してほしい)。この段階では、神ないし神々による災禍への報復や仕返し、棄神はありえなくなる。

 

  (3)贖罪と「互酬的利他行動」

 

 贖罪にかかわる最大の問題は、イエス・キリストの十字架の上での死をどう解釈すべきかである。この死は供犠のようにみえる。生贄の子羊のように、キリストが神に捧げられているように映る。この贖罪は人間の犯した罪をキリストが死によって贖うことで、互酬的な贈与の関係のなかで罪と罰とのバランスがとれ、帳尻がとれたとみなすことを可能にした。

 だが、キリストの死による贖罪はそのような‟give and take”といった軽々しい関係のなかに収まりきれるものではない。この贖罪が意味しているのはむしろ、贈与と返礼との均衡に正義をみる論理そのものを否定することであったのではないか。キリスト教では、互酬的な原理そのものをキリストの死によって否定することで、互酬的な均衡の論理を葬り去ろうとしているようにみえる。

 

 「純粋贈与」

 これは、「純粋贈与」と呼ばれている返礼を期待していない行為を想起すればわかりやすい。『贈与と交換の教育学』のなかで、矢野智司は純粋贈与の例としてつぎのような事例を挙げている。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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