声に出して話すことの減少

最近読んだ記事のなかで出色だったのは、2026年9月3日付の「ワシントンポスト」の記事「「Z世代の視線」――そして、声に出して話すことの減少  私たちは年々、話す言葉の数を減らしている。科学者たちは、それが私たちの脳にどのような影響を与えているのか懸念している」である。

 

深刻な事態にどう向き合うか

記事のなかには、つぎのような深刻な記述がある。

「7月に『Perspectives on Psychological Science』誌に掲載された、2000人以上を対象とした分析によると、アメリカ人や他のいくつかの国の人々は、年を追うごとに1日あたりおよそ300語、つまり約 2~3分分の言葉を話さなくなっていることがわかった。この減少(2005年から2019年にかけて28%の低下)は、25歳未満の人々の間で特に顕著だった。」

この事実にどう向き合うべきなのだろうか。

記事では、この問題が長年にわたり、主に社会的側面――孤独、二極化、コミュニティの疎外、友情の減少――という観点から議論されてきた点を確認している。ただ、記事はこの説に疑問を投げかけている。「会話が単なる情報伝達の手段ではなく――もしそれが認知的に負荷のかかる活動でもあるのなら――その消失は、別の疑問を投げかける」というのだ。

そう、何らかの負荷を回避する目的で、会話が減っているのではないかという推測が成り立つ。そして、それはいわゆるZ世代の会話の減少という事態を理解することにつながるというのである。

 

「まるでヘッドライトに照らされた鹿のような反応だ」

こう考えると、記事に紹介されているジョージタウン大学のカルビン・ニューポート教授のつぎの発言は重い意味をもつ。

「問題は、私たちの社会的脳(social brains)が、他者のために時間と注意を割くことを、重要なつながりの重要な兆候とみなしてしまうことです。そのため、人との付き合いが楽になると、逆説的に、つながりや社会性が薄れたように感じてしまうのです。」

Z世代はとくに大きな影響を受けたようであり、その一因としてパンデミックが挙げられている、と記事は書いている。

新型コロナウイルスのロックダウン期間中、多くの若者はオンライン授業を受けていたため、対面での交流が不可欠な重要な時期を逃してしまった。その結果として、自然に行われていた会話に対する若者の対応に変化が生じたらしい。

記事は、会話と、SNSによる情報交換の違いについて、つぎのようにのべている。

「生きた会話は、作業記憶と注意力に特に大きな負荷をかける。相手の言ったことを把握し、どう返答するかを決め、次の言葉を組み立てながら相手の話に耳を傾けなければならない。テキストメッセージや電子メールは、そのプレッシャーの一部を軽減してくれる。メッセージは送信前に熟考し、修正し、さらに修正を加えることができる。会話そのものが画面上に残るため、前のやり取りを覚えておく必要もほとんどなくなる。」

どうやら、パンデミックを経て、Z世代はこの面倒で負荷のかかる生きた会話をしなくても、それが損失だと感じられることがほとんどないことに気づいてしまったようだ。そのため、若者はとくに第三者と接するとき、不安を感じたり、どう対応すべきか迷ったりしてしまう。それは、「まるでヘッドライトに照らされた鹿のような反応だ」という。

 

AIの大活躍

おそらく、こんな若者にとって、AI全盛の時代になればなるほど、生身の人間と会話するという負荷よりも、AIと情報交換するほうが楽で、気が紛れるようになるだろう。こうした人間の変化は、おそらく「社会的脳」にダメージを与え、それが「軋轢」や「対立」を惹き起こすことになるだろう。

こうした事態に対して、人間はどう対応すればいいのだろうか。本当はとても重要な問題だと思う。

 

(Visited 1 times, 1 visits today)

コメントを残す

サブコンテンツ

塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

このページの先頭へ